《平らに通す》
たまに通る路地に建っていた古いビルが取り壊しになり、きれいさっぱり更地になっていた。
以前にも気づいていたことだが、建物は古びても土地は古くならない。
艶々した土の間から驚く程自然に、緑の草が生え始めていた。
今までどこに隠れていたのか話が出来るなら聞いてみたいものだ。
小さな芽や葉の伸びる様を眺めていてその見事さにしみじみと感じ入った。
何十年も真っ暗な中で、終わりがいつとも知らされることなく居た所に、突然日が差して青い空が広がる。
人間だったら呆然としたり、喜びで泣いたり叫んだり走り回ったりするんじゃないだろうか。
けれども土地は初めからこうでしたがと言った自然さで、そこにある。
植物達も土地が空いた隙に、実にあっさりとした通常運転ですくすくと伸びる。
呆気に取られるでも、解放感を爆発させるでもない。
いずれ新しい建物の建設が始まったら、お構いなしに埋め塞がれることなども気にしない。
土や植物は人の予定など知らないからだと言えばそれまで。
だが、未知の不安に怯えることなしに、自分が無力か有力かなど気にもかけずに、ただ全力でそこに在り、生きている。
それはハッとする様な美しさに満ちている。
通常運転のことを平常運転とも言う。
普段通りの動きは平らかな運びとなる。
不測の事態が起きて平坦じゃないから普段の調子にならないと言うのは、自然界では割と少数派のご意見なのかも知れない。
何が起きてもそれに応じてやって行くだけ。
生きて行くだけ。
しかもそれを活き活きと楽しみ味わっている。
仕組みが複雑化した生き物にそうしたシンプルな生き方は無理、と言うのも少数派のご意見かも知れない。
どんな仕組みを持とうと、全ては粒の集合で成り立っているし、虚空から生まれていることには変わりないからだ。
覚めると、人であると同時に粒であり空間であり虚空と質において同じであると言う実感によって、人であっても生き方は自然とシンプルになる。
日々同じ様な繰り返しだから平らかなのではなく、未知でも未体験でも、世界の運びは平らに通っている。
実に見事なものである。
意が歪まぬ時、常に平らか。
(2023/12/18)