《巡る役割》
新年度も始まり、役割が変わったことを実感する機会も増えるこの時期。
かつての役割を思い残すことなく果たし切り、何も執着せずにどれだけ軽やかに手放せるか。
それが次の役を、最も自然なかたちで受け取る流れを作る。
「きっとこうなるだろうな」の予想はあまり役に立たないし、予想が当たった所であまり意味はない。
重要なのは「全体が」「どう動いているか」なのだが、多くの人々はそれぞれ、
誰が上手くやっているのか
どうやってそこに加わるか
そう言ったことを気にかけている。
大変そうな所へは注意を向けず、避けて通る。
これは皆、一部の役を評価し、選び、支持する動きになる。
だが、虚空から観察すればどの立場も一つの役であり、そこに優劣も軽重もない。
覚めてからは、個の名前が付いた状態で物理次元で活動しながら、虚空としてモノコトを観ている。
すると、ありとあらゆる人型生命体やそれ以外の生命体、生きていないとされる物たち、空気など目に見えないものも、どれについても
「あぁ、役だな」
と感じる様になった。
そしてその役について、ああだこうだと意見するのは、おかしなことなのだと感じる様にもなった。
誰であっても何であっても、部分である個が、全体の役を決める立場になることはないからだ。
そんな風な役をやりたがる人が憧れて、なろうとするのが「支配者」と言う役なのだろう。
「あなた、この役ね」
「あなたは、こっちの役ね」
と、役を配る立場。
一個一個配ると言う手間をかけずに、
「あなたがたは、こう」
とか、まとめてみたりもする。
一時、そうした動きが出来ても、どの支配希望者も長続きしないのは、
やりたきゃ自由だけど、絶対必要なものではないよ
元はみんな同じ。
と言う事実の、現れである。
役は虚空から振られる。
受取った側は、それを果たすことが出来る。
だが、果たさないでいることも出来る。
それは人型生命体それぞれの自由だからだ。
柔軟に、新しい役。
(2025/4/3)