《天地育む》
生きることについて腑に落ちると、意識と御神体とがセットになって、「自らである」としているちっちゃな“これ”と言う端末を含めた全体の育ち行く有様に興味が湧く。
正しいか間違っているかではなく、
好きか嫌いかでもなく、
優れているか劣っているかでもなく、
育っているかどうか。
育っているなら、どう変化しているのか。
そうしたことに関心は向かう。
そう言えば、育の字は何を表しているのだろうか。
調べてみると、子供が生まれて来る様子を表す文字であると言う。
育
上の部分は子が逆になった形で子供が生まれて来る姿を表し、下にある月は身体を表す。
その説明を受けて、成程と膝を打った。
逆さになって生まれて来る、上にある、身体ではない子。
これは天から降りて来る分割意識を意味する。
そして地にあってそれを迎えて一つになる月は、御神体を意味する。
ここから分かるのは、育つには分割意識と御神体、両方の力が必要であると言うこと。
天は、天空と書く様に空とも呼ばれて、虚空の空と同じ字を用いる。
だからと言って、分割意識のみが虚空の落とし子と言う訳ではない。
この世界を眺めてみれば月も又、空にある。
御神体も、毎瞬虚空から生み成され生滅を繰り返す子。
そして本来どちらも全母たる虚空と、質において同じもの。
同じである自覚によって、分割意識と御神体が一つになった分神の中には、全母と同じ歓び、世界の成長を観る歓びが生まれる。
更に分神は有の世界に在るので、観るのみならず育つのを楽しむことも歓ぶことも出来る。
頭が高いとか、上から目線とか、何につけ上を良いもの優れたもの目指すべきものがある方に設定する不覚社会独特の風習。
上下に分ける体験も勿論やってみたかったことなので、良い悪いはないが、上も下も本来只のちょっとした目印である。
幼さで自分だけをこの世の主役と見なしていた分割意識達の中から、大人になってそこを理解する者達が現れる時期が既に来ている。
育の字には生まれて来たものを育てるだけでなく、生まれて来る、産道を通る、と言う意味もあるそうだ。
毎瞬毎瞬、生まれている。
それを育って行く姿として目の当たりに出来ている。
こんなに面白いことがあるだろうか。
惜しみなく、育つ世界。
(2023/8/7)