《在る限り》
姿とは何か。
表現する時に「姿」と書かれるこの字は、何を表しているのか。
調べてみて、字の成り立ちについては知れたが、どうにも謎である。
次、そして女。
次と言う部分が示すのは、「ものが二つ並ぶ状態」。そこから「順序良く」の意味が生まれたそうだ。
その順序良くをアレンジして、「屈む」になると言うから不思議だ。
姿とは、女性が屈んで身づくろいする様子を表した字なのだと言う。
屈んで化粧する。順序良く身支度する。
それが姿?
実際の所、姿は女性だけでなく男性にも使われる。
身づくろいと言えば女性、としたのは古くから容姿と格が結びついて来たのは女性だからだろう。
男性は役職や財産と格が結びつく。
令和では男性のエステやメイクも珍しくないし、平安まで遡っても一部の男達はお洒落に余念がない。
「女に他の意味?」と意識を向け、
「かがむ…かがまない…かがむ…」
と言いながら立ったり屈んだりしていたところ、不意に理解の瞬間が訪れた。
「成程!」
次々にと言う様に、次には「続く」と言う意味がある。
次々に、どんどん、変化する。
そしてそれを支えるのが、女性性の柔軟さ。
以前に申し上げた通り、女の字は直線、折れ線、曲線で構成される。
どんな動き方も出来る、自由自在の柔軟さで、次々に新しくなる。
姿は、字によってその本質を見事に表している。
そして屈んで伸びてを繰り返しながら、分かったことがある。
屈む時、真っ直ぐではない。
真っ直ぐである時、屈んでいない。
この「当たり前じゃないか!」となる事実に、この世にある万物の姿かたちの有り様が重なって、驚きと共に感心のあまり唸った。
屈むことは、傾くことだ。
或る姿である時に、それ以外の姿では、ない。
傾向によって、限定された存在が、その時々の姿。
そしてそれは、変わり続ける。
在る限り、何かの姿。
(2024/11/4)