《四方に満つ》
前回申し上げた通り、本日記事では器について書かせて頂く。
器の字について「色々な器を表す会意文字」と書かれた説明を見つけ、力について調べた時にびっくりした記憶が蘇り「なんてこった又だ」と驚いた。
口の字で「入れ物」を、その口が四つあることと真ん中の犬とで「種類の多さ」を表すと言う。
入れ物だったら、口そのものが既に器なのでは?
そして犬?
「全く何なんだ」と腕組みしていて、口と器とで字を違える意味、つまり口では足らない要素とは何かと意識を向けてみた。
一口、二口、三口、四口。
どれだけ増えても口そのものは単独の存在。
だが器は、それが「色々である」ことが重要なのだ。
犬についてはちょっと置いといて、この“一字に四口システム”を観察した時に「あっ」と思い出したことがあった。
以前上から来ていたメッセージ「2じゃなく4」のことである。
これは例えば
独身で、男性である
と言う人が、その立場のみからモノコトを見るのではなく
独身で、男性ではない
独身ではなく、男性である
独身ではなく、男性でもない
これら3つの立場からの見方や感じ方にも意識を開いておくと、
対象をクリアに観ることが出来る
そして本来はそれが当たり前なのだと言うこと。
独身男性に都合の良いものを求めて世界を見た時、
「ここは不満」
「ここは満足」
「ここは得してる」
「ここは損してる」
「ここは優れてる」
「ここは劣ってる」
「ここは自由」
「ここは不自由」
と、あちこち凸凹して歪んで来る。
それは他の3つの立場にも言えることで、自分の立ち位置に拘れば拘る程、歪みは大きくなり本質が見えづらくなる。
4つの口が揃っていれば自然に成長して広がり、俗に言う「器が大きい」状態に見えるのではないかと気づいた。
「大きいことは良いことだ」と、大を重視するのは人間あるある。
しかしこの器が大きいことは生まれつき何かに恵まれている風なイメージで捉えられている。
だから人は器の字に「器」だけでなく「才能」の意味を持たせる。
器量よしとか、手先が器用とか。
生来持って生まれていることが傍目から既に明らかな時だけ器と呼ばれる訳ではない。
大器晩成の言葉もある。
御存知の方も多いだろうが、これは
大きな器はすぐに出来ないように、大人物は世に出るまで時間がかかる
と言う意味の四字熟語。
世に出たら「成」なのか。
ならば、人間は生来でも晩成でも世に出られる状態まで価値が高まったものを大器と呼んでいることになる。
大器を求めて、人々はでっかい口を開ける。
「自分の側」の一口だけ。
口の大きさではなく四方の口の大きさが揃っていることを求められるのが器だったのだ。
次回は器の真ん中について。
(2024/3/7)