《呼吸の入り組み》
呼吸に関して記事に書かせて頂きながら、そう言えば何でだっけとなったのが、体操などで呼吸をする際に出されるお馴染みの指示が、
吸って~
吐いて~
であると言うこと。
逆であるし、呼はどこに行ったのか。
吸が先に来るのは、「とりあえず始める時点では0だよね」と言うことを前提にしているからだろうか。
0→1→0→1…と言う順で繰り返す方が何となくおさまりがいい、落ち着くと言うことなのかも知れない。
「吸って~吐いて~」と言われた側も、それまで呼吸していなかった訳ではない。
今ある分を全部吐き出して、そこから吸うと言う指示も出せるはず。
この順で言われれば
「あれっ。意識していなかったけど、ず~っと呼吸してたわ!」
と当たり前のことを、よりはっきりと実感出来るんじゃないだろうか。
そう言えば何でだっけとなったことは、まだある。
呼吸と言いながら、呼ぶのではなく、吐いている
と言うこと。
呼の字について調べてみると、口が左につく前には、乎だけで「下から上へ上がってきた息」を表していたそうだ。
息だけでなく感嘆や疑問、反問など考えや感情を込めた音で相手に呼びかける意味も、乎は持っていた。
何だってそこにわざわざ口が付いたのか、その経緯は分からなかったが、呼は「声を出して呼ぶ様子」を表し、呼ぶ以外に「大声を出す」とか、「名づける」「息を吐く」と言う意味も乎から受け継いだ。
口がプラスされたことで「申し上げます!」「言っときますけど!」「聞いて!」「ワ―!」と言った強調する感じが発生。
口の形で表現された「!」の付加によって、より強く届けようとする工夫を感じる。
呼は放つ先を定めて、そこに狙いを持つ動き、
吐は概ね吐き出せればどこでも構わない動き、
と言うことになるのだろうか。
概ねと書いたのは、幾つか例外があるからだ。
例えば息。桃色吐息みたいにセクシー情報を混ぜて来るものであれ、溜め息として感嘆や不満を織り交ぜて来るものであれ、多くの場合は向ける相手を定めてあり、そこに狙いを持っていたりする。
我知らず思わず漏れる感嘆の溜め息であれば、感動を素直に虚空に放つシンプルなもの。
感動している自分の姿を決まった相手に見せて、出して欲しい反応を狙うなら、随分ややこしいものとなる。
例外的なものを除くと吐は「体内に在って欲しくないものを排出する」動きになる。
吐き捨てる、と言う表現もある様に、人は不要になったものをとりあえず地に向かわせる。
天に唾すれば返って来てしまうしバチも恐いし、消化不良で溜まったものは土扱いして地に還すと言うことなのだろうか。
吐くことを「もどす」とも言う。
呼んだり吐いたり。
調べれば調べる程、人が使い勝手のいい様に言葉のアレンジを続けて来た、その入り組んだ道を辿ることが出来て味わい深い。
次回も呼と吐について。
(2024/5/13)