《呼吸と赤白》
本日はホワイトデー。
ひと月前にあったバレンタインデーに対するお返しの日として設定されたイベントデーである。
バレンタインデーのイメージカラーが情熱の意味で赤となることからその反対の白をセットにしたとも、
マシマロで包んで気持ちを返すと言うキャンペーンがこの日を白の日としたことに一役買ったとも、
色んな説があるが、それなりに世に広まっている。
そう言えば歌合戦は赤白じゃなく紅白である。
なぜ赤白じゃなく紅白なのかを調べたら赤には赤貧とか赤裸々と言ったよろしくないイメージがあるので避けるとあった。
じゃあ紅白には景気も縁起もいい感じのエピソードがあるのかと、紅白の起源を調べたら源平合戦に遡ると言う。
平氏が紅の旗、源氏が白の旗をそれぞれ掲げて戦ったのがその由来になるらしい。
壇ノ浦あたりのあれやこれやを、情感込めて琵琶法師が演奏するのを聴いて平家の怨霊が涙したとかの昔話を紐解く限り、特に景気も縁起もよくはなさそうである。
負けたと降参することを白旗をあげると言ったりするが、源平合戦では白担当だった源氏が勝っている。
何につけ、これこれと定めて限ろうとしてもし切れないのが物理次元だ。
歌合戦は紅白だったが運動会の「あかぐみ」を観察してみたら、紅組とも赤組とも書かれている。
貧や裸を避けて赤もそれらと一緒くたにして避けるのではなく、結びつける必要はないし紅でも赤でもどっちでもいいと段々自由になっているなら、面白いことである。
そして運動会の赤白も起源は源平合戦に遡ると言う。
平氏が赤の旗、源氏が白の旗をそれぞれ掲げて戦ったのがその由来だそうだ。
結局紅なの?赤なの?
調べたら紅とも赤とも書いてあって埒が明かない。
そのうち、平氏は「赤地に金丸の旗」源氏は「白地に赤丸の旗」を掲げていたとも書いてある資料を見つけて、じゃあその赤だか紅だかはどっちにも使われているんじゃないかと増々訳が分からなくなった。
赤や紅を抜いてみれば、つまりは金と白との戦だったのだろうか。
そして勝ったのが白になる訳だが、白だって縁起がいい聖なるものとは限らない。
白無垢やウエディングドレスなどが普及し、純粋無垢や祝福のイメージが重なるようになる前、白は死を表すものだった。
婚礼衣装になる前から、死装束は白である。
白は黒と並んで異界の、色のない領域に通じる時やそこに還る時に用いられていた。
世の中の人は怖れがちなものじゃないだろうか。
神に仕える役に就く人々も仕事用に白を着たりする。
毎瞬生まれて死んでを行う、人の形をした点滅として真っ直ぐにメッセージを降ろし伝える存在である、そのことを示して着ているのだろうか。
汚れ多き俗世に在りながら汚れなき神と交信出来るほど清浄な、特別な出自、特別な資質の存在。
自らがそんな存在だから白を着ると言うなら、どれだけ輝ける白を纏っても内なる澱みを消すことは出来ない。
点滅だと自覚して生きている訳でもなく、特別感の権化となっている訳でもなく、神に恥じない清浄さを持ちたいと気を引き締める意味で身につける人もあるかも知れない。
人によって様々、白は白。只それだけである。
赤子として産まれて泣くのが呼で、
息を引き取り故人となるのが吸なら、
人生はそれ自体で、一つの呼吸になっている。
何と見事で興味深いことだろうか。
どちらがいいとか、別にない。
(2024/3/14)