《味と香り》

 

観察者として、人型生命体出来ること

 

それについて理解を深めようと、日々様々な試み楽しんでいる

 

その中の一つに味わったもの言葉で表す記録がある。

 

先程そこに「味と香りは互いを活かす」と書いて、ふと気づいた

 

 

本日はそれについて書かせて頂くことにする。

 

口にするものの香りが感じられない時、風味として感じるものも減る。

 

これは世の多くの方もご存知の通り

 

ふと気づいたのは、

 

俗に言う“匂わせ”もやはり、意識が香りと共に旨味を求めて行うものなのだろうか

 

と言うこと。

 

世間に向けて匂わせる時に、匂いの出元となる人も一緒にそれを嗅いで「私っていい香り!」と喜ぶのだろうか。

 

 

動物が縄張りを確認する、匂いつけにも似ている。

 

又は、世に言う人の不幸は蜜の味を、そうだと感じて求める人が、蜜集めの為の撒き餌として匂いを漂わせるのだろうか。

 

どちらか一方ではなく、両方混ざっていることもあるかも知れない。

 

「私っていい香り!」は、当人以外にとっては逆の話になったりする。

 

人々の好みに合わせて洗剤や柔軟剤、芳香剤等が多種多様に出回る様になって世間で言われるようになったなどは、その分かり易い例と言える。

 

引っくり返して、蜜の味は人の不幸、と言う感じ。

 

 

人は不幸にも味を感じる。

 

面白いことである。

 

御承知の通り宮司を名乗る“これ”は、人として正しいかどうかとか、お行儀がとか、倫理的にとか、そうした物差しをモノコトの観察使っていない

 

今申し上げている匂わせについて興味があるのは、行う人間がそれのどこに“快”を感じているのかと言う点なのだ。

 

ふとから、

 

“臭い消し”

 

と来た。

 

、となって1秒後に理解が訪れ、「成る程そうか!」新鮮な驚きに目を見開いた。

 

匂わせる者は好みの香りをさせることで得られる快を求めているだけではない。

 

その香りには、不快な臭気を感じさせなくする効果もあるのだ。

 

臭気は内外を問わず、様々に発生する。

 

汗臭かったりヤニ臭かったりする鼻つまみものだけでなく、優れた印象を抱かせる存在が放つ、それこそ香害的な鼻につく臭気もあるだろう。

 

 

自身の内側、腹の中から臭って来る固定観念の黴臭さ欲や嫉妬や蔑みの脂臭さも、匂わせ印象を薄められるのかも知れない。

 

あまり風呂に入らなかった時代の人々が、香を焚いたり身につけたりしていたことが浮かんだ。

 

味でも香りでも、好き嫌いのでヤイノヤイノやって来たんだなぁと、人類の歩んで来た道の賑やかさを微笑ましく眺めた

 

申し上げるまでもなく、この世界には素敵な味も香りも沢山ある。

 

味と香りそのものを活かし楽しむのに、先に内外をすっきりさせておくことは必要

 

 

内外とは言うが、同じ意味で外内とは言わない。

 

外内がいないと言う言葉自体は存在し、外国の出願人が日本の特許を取得することらしい。

 

外内そとうちと言う言葉も存在し、こちらは襖や戸障子等の建具を意味する。

 

どちらも限定的な専門用語であり、広くモノコト全体に言える順序としては、内が先となる。

 

黴や古い脂を内に溜めずに流して行くことで、外からの臭気も消えて行く。

 

 

臭いのするものと引き合わなくなるし、目の前を通過することがあってもそれに影響を受けなくなる

 

に集中し、惜しみなく流して行く時、味も香りも新鮮に楽しめ

 

狙って纏わせなくとも、満たされる

 

それで十分なのだ。

 

未知の味と香りを楽しむ。

(2023/11/6)