《切るか詰まるか》
やる気に満ちて張り切る人に接する機会があり、ふと気づいたことがある。
本日記事ではそれについて書かせて頂く。
「張り切る」は、気力満々で力を十分に出す意を表わす。
それに似たものとして扱われている言葉に「頑張る」がある。
頑張るは、無理や困難な状況で力を出して努力する意味になる。
そこから自分の考えや気持ちを押し通すと言う、頑の字が示す通り、頑固に意地を張るという意味も持つ。
不覚社会では、
張り切って行こう
と
頑張って行こう
の意味はほぼ同じものとして用いられていないだろうか。
こうであるべきとかこうあらねばの自説を各々持っていれば、説と説とが衝突した時に、押し負けてなるものかと頑なに張りもする。
反対することや揉めることが悪い訳ではなく、それも人が人として行う体験の一つ。
弥栄を意志する人には頑張るより、気力満々で力を十分に出す張り切るが相応しい。
只、それだけなのだ。
張り切っているつもりが張り詰めている、なんてことも世の中には見られる。
張り詰めるは緊張と似た意味で、心や体に緩みがなく引き締まることを言う。
緩みがないとは、頑張るの頑なに通じる。
張り詰めるは、張り切るより頑張るに近いのかと三つを眺めていて気づいた。
頑なだと詰むことに繋がる。
詰むとは将棋で、王将が囲まれて逃げ場がなくなることから、行き詰まる、窮することを意味する。
「行き詰まった!もうお終いだ!」の意味を持って、「詰んだ」と言ってみる使い方も世の中に広まっている。
と言うことは、人にとって生活の一つ一つの場面や成り行きは将棋における対局の様に捉えられているのだろうか。
もう一勝負!
もう一番!
こんな風に、実は結構楽しんでいるのかも知れない。
張り切って
やり切って
また新しい一歩。
(2024/5/23)