《先行き不透明?》
月曜記事の冒頭で「先行き不透明な世の中に」と書かせて頂いた時に、
「不覚社会で世の中の先行きが透明だったことって、これまであったっけ?」
と、改めて先行き不透明と言う表現の不思議さに気がついた。
調べてみると、先行き不透明とは
この先どうなるかが分からないさま
を意味すると言う。
不覚社会でも物理次元全体でも、この先どうなるかが分かっていたことってやはり無い。
いたって普通のことであるはずなのに、何故不安や不満が出て来るのか。
先行き不透明な、と似た意味で使われる言葉達が沢山並んだ、類義語の一覧を眺めてみると、
「見通しが立たない・見通しが定かでない・見通しがはっきりしない」の他に「見通しが暗い」とある。
これはあくまで見通しシリーズの話。
見通しの部分が予測や予想、先行き等に変わる時、「できない・つかない・不能・不明」と言った表現はつくが、暗いは出て来ない。
この他にも見通しに似た、「視界が開けない・視界不良の」「 五里霧中の 」と言ったもやもや感があるもの。
「展望が開けない」「 ゴールが見えない」「目処が立たない」と言った、先が長そうな感じがあるもの。
「誰にもどうなるか分からない」「どう転ぶか分からない」と言った、予測不能に似た感じのものなど、先行き不透明の仲間達には不安や不満が出て来るポイントに微妙な違いがある。
先行き不透明の意味を“訳が分からない状態”だとして、類義語に入って来るのが、海のものとも山のものともシリーズ。
「分からない・知れない・つかない」等を後に続けて、存在の訳の分からなさを表現する。
どちらともつかないのだから、評価も先送りになりそうなものなのに、不明からしてそうだが全体的に暗い雰囲気が漂うのはどうしてだろうか。
そこで、類義語一覧の中にこの二つがあることに気づいた。
「お先真っ暗の」「 一寸先は闇の」
五里霧中の薄暗さから、真っ暗闇まで。
やはりどうにも暗い印象に傾いている。
明るいと熟睡出来ないと睡眠への影響を訴えたり、くらやみ祭などのイベントをエンジョイしたり。
ホラーハウスも、隅から隅までピカピカに明るかったら興ざめになるのじゃないだろうか。
人間にとって好ましい暗さもある一方で、先行き不透明の暗さは好まれている感じがしない。
もやもやして、先が長そうで、嫌なことも起こりそう。
こんなイメージで先を見る時、自然と「そんな感じ」のモノコトが集まり易くなる。
それって嬉しいことだろうか?
わざわざ暗めの展開を招いて「ほーらね!」とやるより、どんな展開が来てもその時々で出来ることをし、尚且つそれを楽しめる。
そうした柔軟性を育むことに注力する方が、余程味わい深く意味のあることではないだろうか。
見え透いていない、面白さ。
(2024/9/26)