《元は同じと》
あらゆるものは無から生じ、点滅している。
その物理次元を観察し、理解を深め、愛と感謝で体験を消化・昇華する。
それが人型生命体の役割である。
必要なのは、役割を果たすこと。
不覚社会での価値基準に照らして、その役割が大きいか小さいか。
そう言ったことは、虚空からすれば重要ではない。
勿論、価値や比較も、虚空から生まれたものの一つであることに変わりはない。
価値基準によって比較する動きが生まれたのは、体験の種類を増やす為だ。
目が覚めると、例えばA対Bの試合を見ても、元は同じと知れているので、
「負けたらどうしよう」
と、深刻にはなれない。
真剣に楽しむことは出来る。
「どうしよう」「こうあってくれ」ではなく、その試合でなければ見ることの出来ない、瞬間を味わうのに集中する時、それは起きる。
深刻さと、真剣さは、異なるものである。
真剣に集中しても、ことが終われば引きずらない。
恨みや悔い、優越や傲りなど偏りが意識に深く刻まれていれば、引きずることが増えても不思議ではない。
全体一つの流れに沿って、気楽に過ごしていると、深く刻むことに使わない分、エネルギーに余裕が出る。
余裕ある力を、果たす役割に向けて注ぐので、無理がない。
どちらの道を行くのかは、それぞれ自由となる。