《休で適する》
先週記事の終わりに書かせて頂いた、一つ一つの体験をきちんと終えることについて、この所更に深く意識を向けている。
その中でとても重要であると改めて納得したのが、
集中して深く寝ること
不覚状態を、意識の眠りと表現したりすることもある。
その為、覚めることに執心するあまり、知らず知らずのうちに睡眠を軽んじている人々も居る。
だが起きて寝ることは呼吸と同じで、表裏一体の動き。
片方だけが過剰では、体験を終える集中の力は当たり前に弱まって行く。
思い残しが次第に増えて、気になりながら寝るのでますます浅い眠りとなる。
世の中では例えば、
「過去への後悔と未来への不安を抱えて、至らない自分を責めて眠れぬ夜を過ごす」
こんな風な行いについて、真面目だとか健気だとかのイメージが持たれてはいないだろうか。
分割意識の行いたいことと、
御神体の行いたいこと。
それぞれの内容について都合を含めずにそのまま観察してみると、眠れぬ夜を過ごすことは真面目や健気とは程遠い、分割意識が御神体を道連れにして駄々をこねている行いであることが、自然と明らかになる。
今への集中はあらゆることの基本だが、過去への後悔と未来への不安に分割意識が夢中になっていは到底成せない。
この二つを同時に緩める実に具体的な方法がある。それは、
意識の中にあるハードルを下げること。
自分への期待値が謎に高い人ほど、自縄自縛の苦しみを続ける。
縛りをきつくしたらそれをバネに縄を引きちぎるのではと、自分自身を眠れる力が秘められたスーパーマンであるかの様に捉え、結局期待通りに行かず苦しんで眠りが浅くなる。
そうした動きを意識が選択する時、御神体も当然それに付き合うことになる。
付き合っちゃいかん、付き合わせちゃいかんと言う訳ではない。
それも又、人型生命体のかたちをとった虚空がやってみたかったことの一つ。
ではあるが、こうした御神体を消耗させるスタイルには新しさや発展性がないので、継続は日に日に難しくなっている。
「無理をする犠牲的な献身を、神様が評価して幸せを恵んで下さる」
分割意識達の間で好まれて来たそんな“言い伝え”も、人間の古い願望が集まり固まって出来たお伽話だと言うことが、どんどん明らかになって来ている。
無理なんてしたくはないが、そうしなければならないんだと言う人は、その無理が、
誰にも非難されない自分でありたいと言う欲
これと無関係かどうか、観察なさってみることだ。
本当に御神体のことを重要だと感じている分割意識は、己の能力を最大限活用して、御神体をないがしろにせずやっていく道を発見する。
その為に分割意識がある様なもので、役割を果たさずに体面や保身と言う意識の中に作られた幻想の体を、実際の御神体より大事にするなら、結果は言うまでもないこととなる。
適者生存は世に知られた言葉だが、新世界において何が適であるか分からなければ、どれだけ安心材料を集めても生存への不安は消えない。
何が適であるか、これこれこうですよと周知されなくても何となく気づき始めている人々は居る。
集中して深く寝る休息も、欠かせない適の一つである。
惜しまず終えて、始める。
(2024/8/15)