を愛する》

 

御神体との調和成ると、過去でも未来でもない、現在愛する感覚意識の中に自然と立ち上がって来る

 

本来は過去も現在も未来も全て

 

にある。

 

これは以前にも申し上げた通り

 

だからありとあらゆることは、にしか行われない。

 

 

過去を思い返すにしても、未来へ思いを馳せるにしても、そこには「思う」「想像する」と言う意識のはたらきと、そのはたらきをする土台となる「今」が要る。

 

過去だけで過去に向かうことは出来ないし、

 

未来だけで未来に向かうことも出来ない。

 

たとえ過去も未来もであったとしても。

 

どの体験をするにしても、ここにおいては現在の力要るのだ。

 

 

その現在と言う今を愛するのに必要なのは、まず、への評価止めること。

 

への評価と言うか、今置かれている状況への評価止める

 

評価に使うエネルギーはかなり大きく、への集中出来なくなる。

 

評価に左右されることなくここ何が起きていて何をする必要があるのか中立に観察して気づくこと。

 

中立観察静か天意呼ぶ

 

 

それは呼吸をする時にまず行われる、シンプルな送り出しに似ている。

 

中立な観察を送り出し、その次に起こる吸の動きとして天意受け取る

 

そうして天意を受ける存在である時、愛することが自然と出来ている

 

天意受け取り愛する

 

そこでは天意からの愛として、天意も愛も一つになる。

 

 

天意からの愛が止まらず流れる時、内外問わず様々な変化を感じ易くなる。

 

環境や状況が変わり、慣れ親しんだモノコトに囲まれていた状態に、未知のモノコト舞い込んで来る

 

それについてどう感じるかは、人それぞれ。

 

かつてを思い出し惜しむ人もいれば、未知なる出会に胸躍らせる人もいる。

 

そうした様々な湧き上がる反応を超えて、今を愛することを続けて行くと、

 

「あ!しかなかった!」

 

 

と、シンプルに納得が行く瞬間が訪れる。

 

そして現在と言う起点にして、過去や未来と名付けられたをも全て深く愛していること気づくのだ。

 

を愛することは出来る。

 

何故ならとは愛そのものだからだ。

 

愛により、ここに在る。

(2024/6/3)