《今と所》
「花粉症じゃないんですか」
この季節、クシャミをしたり鼻を噛んでいる人々から、たまにこう聞かれることがある。
「はい」と答えると、
「そりゃ羨ましい」
「私なんて辛くて」
から始まり、何でか運不運みたいな話になる。
何の拍子に花粉症になるのか。
症状に差があるのは何でなのか。
そうしたことが未だよくわからないから、運を理由にするしかないのかも知れない。
全部元は同じと分かっていておいて、幸運な人扱いされて喜ぶことはない。
覚める前なら、同情心に溢れた善人プログラムに沿って、申し訳ないような居心地の悪さを感じていたかも知れない。
「お大事に」等、労わる言葉を贈っても、この辛さがない人とある人の間に、何と言うか埋まらない隔たりがあるような気がしていた。
だが、先日ふと「はい」の代わりに浮かんで出て来たのが
「今の所は」
すると、どんな労いの言葉を添えるより場の雰囲気が和む。
いつなるか分からない、つまり同じ地平に居ると言うこと。
実際なるかどうか、全く分からない。
なった人だって、ずっとそのままか、はたまた症状が消えるかは分からない。
何もかも、今の所は。
そしてどの場所も、どの人も、今に在る。
あの頃や、いつの日かなど、過去や未来に設定した、いつかに居る気になっているのは意識だけだ。
意識だけが、自由に飛び回る。
そして戻って来るのは常に、今の所なのだ。