《人にしか》
この所、観察者と実行者としての人の役割に、改めて意識を向けている。
観察しながら行動し、
行動しながら観察する。
この両輪で体験を重ねて行く。
注視は人以外の生き物も行う。
どうすればより確実に食べ物が手に入るか、危険から身を護れるか。
野生動物にとって必要な生き延びる術を獲得する際に、注視することは欠かせない。
なにしろ命がかかっているので、真剣さにおいては人を遥かに超えるのではないだろうか。
相当な集中を伴う注視が、彼らの一生を支えている。
飼育されている生き物も、こうすれば沢山おやつが貰えるとか、こうすればちっちゃな生き物を捕まえられるとか、生活にあった注視を日々している。
こうした人以外の生き物による注視を観察していると、彼らが主に状況を見ていることに気づく。
人による観察は、そこに留まらない。
状況以外に自分自身を観察したり、自らの生活に直接関係しないような、広範囲な「世の中」を観察したりもする。
その場その場の生存戦略を超えた観察に加えて、更に人しかしない行いがある。
それは、観察の記録。
他の生き物は体験から学んだことを、より生き残り易くなる様に姿形や習性などを変化させて、後代に残す。
それは血の中に重ねて上書きされた、ある種の記録とも言える。
だが、人の行う記録は、血脈と無関係に人の間で共有することが可能。
この共有化は、人類進化のスピードを押し上げてきた力の一つではないだろうか。
情報が集まる場所をひとたび覗けば、多種多様な内容が洪水の様に押し寄せても来る現代。
適度な量の情報を自然に受け取るには御神体との和合が不可欠となる。
その自然なペースを育てるのに、実に適しているのが筆記
直筆で情報に向き合う時、それぞれに合ったペースを知ることが出来ると、上から示されて成程そうだと頷いた。
更に色で分けたり、線で区切ったりと、面白いことは沢山ある。
季節の変わり目となるこの時期。
夏の間にしておきたいことを十分に楽しみ味わい、爽やかに初秋を迎える柔軟運動として、筆記を楽しんでみられることをお勧めする。
人にしか、書けぬものを愛で。
(2024/8/26)