《万と間》
幾度か申し上げて来たこともある様に、街中で耳に飛び込んで来た一言によって、面白い気づきがもたらされることがある。
先日もすぐ隣に居られた女性二人が、お勤め先だろうか、店に来るお客に注意する方法に困っていると言う会話をなさっていた。
「おばあちゃんだよ、何て言えばいい?」
「万引きは…難しいよね」
彼女達から見て、倍に倍を重ねた年数生きている相手だから言いづらいのか。
それとも反応や理解力が弱まった相手だから難しいのか。
そのあたりはわからないが、こちらで興味が湧いたのは
そう言えば、万引きの万って何?
と言う点だった。
調べてみると、万引きとは間引きから来ている説が有力だと言う。
商品と商品の間を引くから、間引き。
使われる内に「ん」が挟まって、当てる字まで変わったらしい。
「間が万に…?…あ!そうか!」
と、膝を打った。
空間から万物へ。
万物から空間へ。
エネルギーの点滅は呼吸の様に切り替わる。
その自然な動きのバランスを「引く」ことで変えるのが、間引きこと万引きなのだ。
間引きとは、元は植物を栽培する際に、苗を密植した状態から、人間が必要と判断した分を残してそれ以外を除く作業のこと。
植物以外にも、多過ぎたりして育てられない、育てても望んだ様にならないとされるものを人為的に減らす意味で使われる。
生まれた子供をすぐに殺すことを意味して使われた歴史もあり、万引きもそうだが、盗みや殺人など、人は大っぴらに出来ないものに対して、表現をソフトにしようと言い換えをする。
植物にしても、何故間引くかと言うと、確実に芽が出て来て欲しいから、あらかじめ多めに種を撒くと言うのがある。
いっぱい撒いて、最も収穫が多くなる状態に選別して残す。
このスタイル、植物側にとってはどうなんだろうと興味深く眺めたが、
植物は撒かれた場所で伸びるだけだし、
引き抜かれてもそれはそれだし、
生きることを無条件に楽しんでいる。
食べられることについても、「へぇ、そう」位の反応かも知れない。
何と言うか、空間との一体感が人以上。
植物の成長を通して、気づくことや学べることは多い。
多めに植える欲を自覚しつつ、有難く間を引かせて貰うことも学びになる。
万引きについては言い換えなしに、「これシンプルに盗みだなぁ」と気づくのも又、学びになる。
万、空間より出ずる。
(2024/9/12)