《よいを観る》
前回記事にて書かせて頂いた、「どちらでもよい」と「どうでもよい」。
実際口にする時は、どちらでもいい、どうでもいいと「よい」ではなく「いい」が一般的だろうか。
「よい」でも「いい」でも、ここでは秀でて良いではなく構わないの方、「結構」の意味合いとなる。
goodであったりokであったりの他にも、人が「よい」と言う時、そこにある意味は様々。
「いい加減にしろ」のいいは、「いい湯加減ですね」のいいと、同じ調子では使われないだろう。
「いい天気ですね」と言う時、それは主に晴れを指す。
「よい子にしましょう」のよいは、大人しくするとか礼儀正しくすること、周囲を困らせないことなどを指す。
「誰かいい人いないの?」のいいは、結婚するのに適当であることを指す。
よいやいいは、詳しい説明や反復を省ける言葉として、日常会話で「よく」使われる。
ちなみにこの「よく」は、「多く」とか「気軽に」とか「頻繁に」の意味となる。
多くと気軽と頻繁は、並べるてみるとそれぞれ別のもの。
だが「よく」はそれらをまとめ、この中のどの意味として受け取ることも可能にする。
「多く」と言う一つの意味だけ受け取ることも、それ以外の意味と合わせることも。
この様にとても便利なので、よいとかいいとか言っていることに気づかない場合もある程、人の生活に馴染んでいる。
何だってこうしたことを書かせて頂いたかと言えば、
「いい気分」
「人がいい」
「よくもまぁ」
等、日常色んな「よい・いい」を口にした時に、ふと気づいた場合で結構だが
これって結局、何のことを「よい・いい」と表現しているのかな?
と、箱を明けて中を見る感じで確認すると、今何をどう見たり感じたりしているかより深く鮮明に理解出来る様になる。
このことを今一度、申し上げておく必要があったから。
理解出来ると同時に、人の持つ様々な価値観の存在にも気づくことが出来る。
自身の発言であっても、不覚社会で長く保存されて来た価値観を何となくそのまま口にしただけかも知れない。
「よい・いい」は観察してみると実に味わい深く、様々なことを学ばせてくれる。
「良し悪しのジャッジは良くないぞ」と言うジャッジも手離して、そう言えば何のこと言ってるんだ位の、軽い感じでよいを観てみることをお勧めする。
何が出るかな
よいの箱。
(2024/6/17)