《ひとり在る人》
百年を超えても飽きることなく人生を愛する方々について調べて行く程に、明らかになり感心したことがある。
人生上で出会うことの出来た人々を大切にすると同時に、
一人であることも同じく大切にしていると言うこと。
存在として何にも依らず「一」であると、
周囲と比べることから自由になる。
誰かと比べて恵まれているとかいないとか、
何かの力が優れているとかいないとか、
それによって価値が増すとか減るとか、
そうしたことを彼らは気にしている様子がない。
彼らが意識しているのは、
どの様にして自らの役割を果たせるか。
優れたいとか恵まれたいと言った望みから自由になる時、人はその独自の役割を受け取り理解する様になるのかも知れない。
優劣や幸不幸の判定から自由であるので、彼らは他の人々の役割に対しても概ね爽やかな目を向けている。
概ねと書いたのは、これからの世の中を心配して、自分に何が出来るかという時に、少しばかりの揺らぎが出るから。
だがそれもすぐに、もとの爽やかさを取り戻す。
その時々の役割を誠実にやりきった人だけが漂わせる爽やかさは、言葉にせずとも周囲に活力となって波及する。
安心させようとか励まそうとか、本人が思っていなくとも流れて行って必要な場所に届き、伝わる。
それは生きた年数が百でも五十でも十でも変わらない。
赤ちゃんと呼ばれる人々がはじけるような輝きとともに爽やかさを持っているのは、彼らが現時点での乳児と言う役割を日々集中し果たしているからだ。
他の生き方をまだ知らず、そのため気が逸れることもないので生きることへの集中力が半端ない。
百年を超えた人々について更に味わい深く感じるのは、この赤ちゃんに似た集中力を彼らが持っている点である。
生活能力や感情の面で赤ちゃんの様になる赤ちゃん返りではなく、一人の大人として生活しているのに、生きることへの集中が赤ちゃん並み。
これって凄いことではないだろうか。
この点を観察していて気づけたことを、次回記事では書かせて頂くことにする。
描き続けた上の、まっさら。
(2024/8/5)