《ひとの力》
“世の中の事ある時にあひてこそひとの力はあらはれにけれ”
正月から立て続けに起きて世間を驚かせた出来事。
その流れを観察していた時に、上から降って来たのが冒頭の言葉である。
成る程確かに、と頷いた。
意見を述べる。
支援をする。
情報を提供する。
憂鬱になる。
対策を講じる。
本当に様々な動きが起こり、様々な面が現れている。
平時と見なす状態が続いていれば出て来なかった、各々が有事に際して出す面。
これはそのまま、全母たる虚空からの「大人になるのかならないのか」と言う問いかけに対する回答になっている。
それぞれが明らかにするもの。
そして、それぞれが発揮する力。
冒頭の句の「ひとの力」の部分に目が行き、更に「力」の所に興味が湧いた。
調べてみるとリョク・リキ・ちからなどと読むことが出来る力は、手や腕の筋肉を描いた象形文字と言われる。
田畑で使う耒を描いた象形文字という説もあるが、どちらにしても手に関係する。
では、脚力とはちょっとおかしな言い方になるのかと面白かった。
分かり易く「これが力だ」となる、動きの表われ。
それを手や腕を動かすことで生じる動きの中に感じて、力と言う字が出来たのだとして、「ちから」の本質は勿論手や腕に限定されるものではない。
「ちから」について改めて調べると実に面白く又、これから必要なことを豊富に含んでいることに驚かされた。
人とは、絶えず何かしらの力を求めて来た存在じゃないだろうか。
力を欲しがったのを切っ掛けに、体験出来たことは沢山ある。
自己研鑽でも他者との闘争でも、力を求める気持ちがある点は変わらない。
気力、体力、知力、魅力、影響力、精神力、忍耐力、攻撃力、防御力、守備力、包容力、鈍感力、瞬発力、持久力、女子力、財力、権力、技術力。
ざっと並べて見ても、出るわ出るわ。
この力の博覧会状態を前に、「ひとの力とは?」と一層の興味が湧くこととなった。
次回から「ちから」について書かせて頂くことにする。
あらわれる、ちからたち。
(2024/1/8)