《ひとときの》
世の中的には連休に入られている方も多いこの時期。
普段しない活動が増え、新体験の機会が増えると、そこを存分に味わうのに集中が必要になって来る。
そちらへ十分な意識を向けて頂くようにと言うことなのか、連休中の当宮記事はごくあっさりとした仕上がりになる模様。
ひょんなことから、でっかい木が沢山並ぶガイドブックを読んでいた宮司。
「ヤスムのキって、キだよなぁ」
と、浮かんで調べて確認したら、やはり休とは、人が木の側で休んでいる様子を示した文字であると言う。
亻は人の姿を模したもので、人間による行い全般を表す。
動き回っている時だけでなく、人が何かの側に居る場合にも使われるそうで、休の字もそれにあたる。
人と木の出会いによって、休む状態が出来上がるとは面白いことである。
木は、大体において野外の存在。
自宅に木を所有している人も、木に会いに行く時は外に出る。
室内で木を育てる人々も勿論世の中にはいるが、人と木が会う、休むのには自宅や自室が必要な訳ではない。
そして、「おやすみなさい」の挨拶で有名な睡眠が、休みとイコールになる訳でもない。
お昼休み、中休み、お盆休み。「ちょっと一休み」の休憩など。
食事の後に昼寝をする人もあるが、どの休みも睡眠がメインではない。
休む時、分割意識と御神体に何が起きているのだろうか。
それは字の中で人の横に立つ木の部分に注目すると見えて来る。
仕事や趣味、交際、社会奉仕等々、人の活動時には大体の場合意識が神経を使うことが起きる。
何に使うのか。
思考をまとめたり、空気を読んで人に合わせたり、選択し決断したり、機械を運転したり、実に様々で挙げればきりがない。
そしてその間ずっと意識は薄っすらと緊張している。
何故緊張しているかと言えば、まとめたものが無駄になったり、合わせたつもりがずれていたり、選択を誤っていたり、運転ミスで事故が起きたりと、実に様々なマズい事態を恐れているから。
木も活動している。
その場から動かなくとも、根は水や養分を吸い上げ、日を浴びて栄養を作り、枝を伸ばし、実を結び、葉が落ちれば周囲に養分をもたらす。
結構多用であるし、停止することはない。
だがそこには人の意識が抱える緊張はない。
休の字から見えて来るのは、側に居ることによって人が木のペース、木の呼吸の様なものを共有出来ると言うことである。
その時、束の間、意識は緊張から解放される。
但し、緊張の興奮に酔っていなければの話になる。
緊張するのは何の為?
(2024/4/29)
4月のふろく《木と会うメモ》
連休期間中でもその後でも、気が向いた時に木について調べ、その中で気になった木と会うメモをこしらえました。
ツバメが飛ぶ黄色い丸には出かけた場所と周辺の地域について、
上の段の木には気になった木について、その大きさや種類や特徴を、
下の段の木には、その木がどの様に過ごしているかを、
黄色い家の中には、そこでご自身はどう過ごされたかを気づきや発見と共に、
それぞれご記入頂けるようになっています。
大きな木でも小さな木でも、古木でも若木でも、どんな種類でも、木は木。
人と木の出会う、ひとときの記録をお楽しみ下さい。