《ところ変われば?》
人間は、一体何を恥とするのか。
そこに共通するものはあるのか。
前回記事にてこの様に書かせて頂いた。
恥って何なのか知りたいと興味が湧き、恥について書いてあるもの、タイトルに恥の字が入っているもの等をあれこれ調べてみた。
そうしている中で、面白い1冊を発見。
タイトルは『世界の「常識」図鑑』だが、その前に「どこへ行っても恥をかかない」とついているので、お目にかかることが出来た。
この本には、日本以外の各国に旅したり住んだりする時、又、相手が日本に来た時など、そうした地域の人と接する場合に「すべきこと」「すべきでないこと」が絵を伴って分かり易く書いてある。
例えば、
日本では左右の手に浄不浄はないが、イスラム圏・ヒンドゥー圏では左手は不浄の存在であるので、食べること含め食物を扱ったり、それ以外でも物を受け渡しすることは避けられている
これは割と世に知られているものではないだろうか。
だが読み進めると、まるで聞いたことのない「常識」が沢山出て来る。
例えば、
「多くの国では、顔にツバを吐きかけるのは相手への侮辱を意味します。しかし、東アフリカに住むヌアー族はこれを良い行為として捉えています。とくに、子どもの顔にツバを吐きかける行為はその子への祝福を意味します。」
「長いひげをなでるようなジェスチャーは、「お前は退屈だ」という意味で、ヨーロッパでよく見られます。オーストラリアではあごに直接手を触れ、短いひげをなでるように行われます。」
祝福すると言う行い自体は各地にあるので表現の仕方が未知なものなだけだが、会話の中で「お前は退屈だ」と示さなくてはならないシチュエーションってどんなものなのだろうかと首をひねった。
髭の長短にもある様に同じ意味を違う動作で表現する場合があり、そして同じ動作が地域によって違う意味を持つ場合もある。
例えば、「あっかんべー」の様な動きについて、
「チベットでは、舌を出すのは敬意を表す挨拶です。ただし、他の多くの国では人を小バカにする侮辱のメッセージとして受けとめられます。とくに、アメリカでは「お前がきらいだ!」という意味になるので、しないようにしましょう。」
と書いてあった。
敬意⇔きらいだ
随分な振れ幅である。
ジェスチャーにはそうした各国での受け取り方の差が分かり易く表れる。
「親指を立て、下に向ける」ジェスチャーが意味するものは、
「日本やマレーシア、中国、サウジアラビアなどでは「下」ですが、多くの国では「殺す」「殺せ」の意味で、ブーイングのときによく使われます。ナイジェリアでは「承知した」と「ダメ」を両方意味します。」
とある。
地域によってこれ程意味が変わることだって面白いのに
「同じ地域で、承知とダメ?!」
と、ビックリした。
恥と言うものが如何にふわふわした実体のないものなのかが分かって面白い。
この本の内容全てを把握して各国出身者に対して都度対応するには、大きなエネルギーが要りそうだ。
だが書名に「どこへ行っても恥をかかない」とある様に、書いた人達にとっては「ふわふわして実体がないんだなぁ」と気づくことよりも、大きなエネルギーを使ってでも恥をかかない為に頑張ろうと提案することの方が大事である様子。
この本に書かれていることが気をつける項目の全てであるとは限らないし、社会の変化によって追加ルールが生まれたりもするので、恥対策が万全になる日はおそらく来ない。
恥は常識が作って来たのか。
それとも恥が常識を作って来たのか。
次回はその辺りについて書かせて頂く。
何処の常も、部分なら癖。
(2024/3/21)