《さっぱりと》
夏至も過ぎ、今週で2024も半分を終える。
夏越の祓の様に、様々なモノコトをさっぱりとして一区切りするのに丁度合った時期となる。
輪っかをくぐって外からさっぱりするのと同時に、内側もさっぱりしてみることをお勧めする。
これまで「自らと信じたイメージ」を形作るのに使って来た性格づけや、思考や行動のパターン。
何であれ「私と言えばこう」を強化するのに役立てて来たもの。
それらの中で「もう十分かな」と感じるものを愛と感謝をもって祝福し、手離してみること。
「もうそんなものありませんよ」
と言う方も、今一度振り返ってみて頂きたい。
世の多くの人々は、季節の変わり目や気が向いた時などに新しい服を買う。
気に入ったデザインだとか、最近流行っているとか、いいなと思った誰かが着ていたのとお揃いやら色違いやら。
それらはどんどん溜まって、少しずつ古くなる。
同じ様に、意識も外から日々情報を受け取る。
情報をきっかけに意識の縛りを緩めて、固定観念から自由になることも勿論ある。
だが来たものをそのまま転写して、「私と言えばこう」のパターンを追加し増やしている場合もある。
6月は衣替えの時期でもある。
衣替えをするついでに、
「これ気に入ってよく着ていたなぁ、でももう十分かな」
となる服が見つかることがあるが、それと同じで意識内を丁寧に振り返ってみると、「私と言えばこう」に使って来たアイテムも案外出て来る。
もう十分かどうかを分かるヒントになるのが、
それが以前程には機能しなくなっている
と、言う点。
意識状態が新しくなると、当たり前にそれまで馴染んで来た古いパターンとは合わなくなってくる。
機能と言うと何だか実用的に聞こえるかも知れないが、衣服で言う体型に合わなくなったり草臥れた感じが出て来た時だけではない。
デザインやテイストが、今の気分とは合わないと感じる時もそれはもう前程には機能していない。
着ていて気分が乗らない服みたいに、古い自分像もしつこく身に纏っていると発せられる古いノリが全体一つの流れに沿わず、内外問わずガタピシしてくる。
していることが、どうにもスムーズに行かない。
そんな場面が出て来たら、それは抱えたままの古い何かをさっぱりさせるのに丁度合った時であると言うこと。
ここで「古いものは良くない」とか駄目出しをして、厄介払いで脱ぎ捨てようとすると、似た衣がまた張り付くことになる。
祝えなければ、それは形を変えて戻って来る。
何の為?ちゃんと祝う為である。
捨てちゃあ纏い、捨てちゃあ纏いと腕の力が続く限り何周もしてみるのも勿論自由。
だが人類の歴史を振り返ってみると、そうした体験は既に他の端末の手によって十分に重ねられている。
そこにちっちゃな焼き直しを一つ添えたとして、全体の景色は特に変わらないのだ。
さっぱりして、軽やかに舞う。
(2024/6/27)
6月のふろく《凡形代》
よしさっぱりしようとお決めになられた方に向けて、古いパターンを見える形にするのに役立つものをこしらえました。
この形代に、もう十分味わったので卒業しようと言うパターンを表現します。
ぬり絵の様に色で表現されても結構ですし、模様を描いたり、文字を添えても結構です。
大切なのは、それらを感謝と共に愛で表現されることです。
下の点線で出来た欄の中には、さっぱりした気分の中で始められる、新しいことを何か一つお書き下さい。
凡形代は邪気払いする為のものではありませんので、完成した形代は取っておかれても結構ですし、手で細かくしたりシュレッダーにかけるなどしてお片付けされても結構です。
形を無くする際には、下に書いた新しいことを始めてからになさって下さい。