《かたちをつける》
前回記事に、「全が全から何捨てる?」と書かせて頂いた。
人が「捨てる」と認識している動きは、一つの役割を終えたものの移動。
行った先でまた別の形に変化する。
色々なルートで形を変え、新たな場所へ移動する。
この動きは物理次元が生まれてからずっと続いており、全体を観察すると、特に何も取っていないし捨てていない。
只、歓びと共に動いている。
全体の中で、“自ら”とに認識している一部に意識を置き、自身の周囲にだけ注意を向けることで、取捨選択する動きが可能となる。
どちらも面白い。
取捨選択で使う様に、捨てるの反対語には取るが来る。
取るに似た意味で拾うも挙げられ、「捨てる神あれば拾う神あり」の諺もある。
人は何につけ片方を良いもの、もう片方を悪いものに分けて片付けたがるが、上記の諺は捨てるのも拾うのも、どちらも神。
捨てるのも、
拾うのも、
取るのも、
何の動きでも。
全体一つの流れに沿っていれば、それは神の動きである。
捨てることに限らないが、役割を終えたものを送り出し、役割のあるものの配置を変えて、空間に新しさをもたらすことを
「かたづける」
と表現する。
「かたづける」の「かた」は「形」から来ていると言う説がある。
役割を果たす場面を完成させ、その後に送り出すと言う、形を付ける。
そうして生まれた「かたづける」は、片付けるや方付けると書く。
片については「片側に寄せる?とりあえず?」と、首を傾げる部分もあったが、方向が定まって形が付く方付けるは、よりしっくり来る。
同じ音で表現される別の字に変えてみると言うのは、言葉を使う時に起こりがちな動きである。
その為に、意味や雰囲気が変わることも珍しくない。
変わったルートを遡ってみることは、味わい深く面白い試みだ。
真の意味や、そこから伝わる虚空のメッセージを受け取る機会になる。
それと同時に言葉を通じて表れる、エゴの矛盾が起こす揺れを、鑑賞する機会にもなるからである。
鑑賞するには、中立な観点が必要になる。
役目を終えた後も残しているものに方向を定めて形を付け、新しい場所へ送り出すと、身軽になり、自然と中立になる。
愛で、かたちをつけてみよう。
(2024/11/28)
11月のふろく《開かずの間開放メモ》
おかたづけを趣味にしている方も、苦手にされている方も。
どなたにもご自宅やお仕事場の中に、「そう言えばずっと手付かずだった」と気づける場所が、一つはあるのではないでしょうか。
物であったり、書類やデータなどの情報であったり。
それらは意識の中で「開かずの間」状態になっている、古い記憶や固定観念と連動しています。
開かずの間を発見した時に、それを開いて味わい、消化と昇華を行うメモをこしらえました。
上の欄に、開かずの間状態になっているものが何であるかを、
中の欄に、それに向けて天意からの愛を送り、分かったことと気づいたことを、
下の欄に、消化と昇華として行う具体的な動きと、それを実行されてみて感じたことを、
それぞれお書き頂ける様になっています。
気が向かれた方は、開かずの間を開き、爽やかな空気を通してみられると、年の瀬に向けて日々が、より明々と輝きます。