《かけ流すちから》
ちからについて調べた中で出て来た
“他の人間の存在態や、環境を変化させる源泉をいう。”
の一文。
この説明を取り上げた当初は、「どうやら力は何かの源泉である」と、主に力についての謎を解くヒントとして見ていた。
改めて観察すると「源泉」の表現は実に味わい深く、そして重要なメッセージを含んでいることに気づく。
源泉としての力は、出たての時に最も勢いがある。
これは温泉など、自然界に見られる源泉を眺めても疑いのないことである。
面白い!やってみたい!これは何だ!?
そうした興味が湧いて力が溢れる時、それは何の無理もなく行動を後押しする。
そこに、
格好良くやりたいとか、
することで○○を得たいとか、
誰かの為にやりたいとか、
様々な情報が絡む時、興奮で力が増す様に思えることがある。
だが実際は、情報がひっ絡まることで流れに対して抵抗が増した所に、高いテンションを使ってそれを乗り越えて行くので、とても疲弊することになる。
流れて来る向きと同じ方に行く時に使う力と
流れて来るものを自分が行きたい方角に向かわせようとして、腕でグルグルかき回して勢いを増して押しやるのに使う力と
どちらが心身に疲れを招くは明らかである。
これからその疲れは増すし、流れを作ろうとするのも難しくなる。
各自の腕っぷしを支えていたのも虚空からのエネルギーであり、全体一つの流れにおいてそこに充てられていた分がどんどん減っているからだ。
只今は、旧式を諦めきれない人々による、「いっちょ興奮でどうにか出来ないか!」と言う抵抗運動と、「個の都合を挟むと出来るものも出来なくなるな」と気づく人々による新たな体験が入り混じる、体験観察をするのにはとても賑やかで面白い時代だ。
人々の協力について、例えば「みんなの声援が力になる」と言った表現がある。
これは、あっちの源泉こっちの源泉から溢れ出た力が合流し勢いを増して、大きな流れになる動き。
そして試合が終わったりして落ち着くと、力は徐々に緩やかになり散って行く。
これも現状では、会場の選手や観客の求めるものを分解して観察すると、あちこちにちっちゃな抵抗が散見する。
と言うことは、まるきり源泉かけ流しの力を受け取り集まって声援を送り、それを背にして個を超えたはたらきで試合をするならば、どれ程大きな流れがそこに起こるだろうか。
誠に面白く楽しみな、素晴らしいことである。
中心からの流れに沿う。
(2024/1/29)
《1月のふろく 源泉観察メモ》
ちからの湧き出る、源泉からの流れを観察するメモをこしらえました。
世の中を見渡してみて、無理なく源泉としてのちからを活かしていると感じる人をひとり選んで決めます。
その方を通したちからの現れについて観察し、どんな流れに見えるかを上の富士山の中に、
何故こうした動きが可能なのかに意識を向けて、気づいたことを紅白の雪輪の中に、
その気づきを自らの行動に活かすとしたら、何が出来るかをピンクの雪輪の中に、
それぞれ書き入れて、行動に変えることが出来る様になっています。
ちからの現れ方は、人によって色々です。
幾人か浮かんだ場合はそれぞれ書いてみて、比べてみるのも面白いことです。