《魂沌問答》
先週記事に書かせて頂いた、
“感謝とは、感動による魂の新陳代謝のことである。”
と言う、上から来た言葉。
成る程そりゃそうだと納得すると同時に「あぁ、それがそれなのかい」と、着目した表現がある。
目が行ったのは、
「それ(新陳代謝するもの)が、(意識じゃなくて)それ(魂)なのかい」
と言う点だった。
意識も中立さを磨くことでより明晰になるが、新陳代謝になぞらえられて言われたのは「魂」だった。
それを切っ掛けに「そう言えば」と、気がついたのは、意識と魂の関係と、両者の果たす役割について深掘りしてなかったと言うことである。
どちらも目に見えないものであり、不覚状態だと「それが存在すると信じて」みようとするので違いは曖昧になるだろう。
その為、放っとくと意識と魂についての認識は結構簡単にごた混ぜになる。
結果、都合よく役割を肩代わりさせていたりと言う動きも起きがちである。
まずは人間の中で「魂」はどんな風に定義されているのかを調べようと試みて、その幅広さと言うか雑多さに驚いた。
皆様とっくにご存知のことかも知れないが一応ご紹介すると、まず初めに
生きものの体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの。
古来、肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられてきた。霊魂。たま。
とあった。
この説明の使用例に「仏作って魂入れず」があったが、そうなると
仏は生きものであり、心の働きがある
と言うことになる。
生きて心を働かす仏を、見たことがある人が書いたのだろうか。
そして次に
心の活力。精神。気力。
とあり、「仕事に魂を打ち込む」が使用例として挙げられていた。そうなると、
打ち込む側と、打ち込まれる魂は別。
と言うことになるだろうか。
更には
それなしではそのものがありえないくらい大事なもの。
と言う説明もあり、この場合の例として「刀は武士の魂、鏡は女の魂」とあった。
男は強く、女は美しくなければと言う価値観が反映されている言葉だとすれば、昨今の色んなハラスメントジャッジに思いきり引っ掛かりそうだ。
今回はそうしたことについて申し上げる記事ではないので、火種になりそうだと言う点は放り投げて先へ行く。
お次は
(多く「…だましい」の形で)そのもののもつ固有の精神。また、気構え。
とあった。
ここでは「大和魂」「負けじ魂」を例としている。
負けじ魂の類語に負けん気や負けじ根性と言うのもあったので、魂、気、根性と、とにかく見えないものには何でも「負けたくねぇ!」はトッピング可能らしい。
この他にも古くは
思慮。分別。
や
素質。天分。才気。
のことも、「魂」と表現出来たそうである。
こうして並べて見ると「魂」は相当な多目的スペースとして扱われており、思慮や素質と言った割合早くに詰め込んだ意味は殆どみんな忘れているので、何かもう混沌としている。
「魂の中に色んな意味が混在し、集まって塞がった状態になっている」ので、“魂沌”であるとも言える。
「武士の魂と言えば~?」
「刀~!」
のやり取りが余程お馴染みだった時代もあった様で、「魂=刀」とするダイナミックな使用例もあった。
略し過ぎである。
こんなに好き放題して来たのかと魂の色んな使い方を腕組みして眺めていたが、次第に分かって来たことがある。
次週はそれを、意識との違いについても含めて、書かせて頂くことにする。
皆様は「魂」を、どんなものとして認識なさって来られただろうか?
又、どんな意味合いでお使いになられて来ただろうか?
認識を整理してみよう。
(2022/6/2)