《進化と移動》
この所、色々なデータを興味深く観察することが増えた。
ニュースには出来事を報せる中に発信者の思惑や意図が含まれることがあるが、データにはそれがない。
何でそのデータを作成することになったのかについては意図も思惑もあるだろう。
だが基本的に、つまり改ざん等なければ、示す結果は個人や集団の意図思惑を超える。
その狭間に、虚空の意志を感じることもあり、とても面白い。
1つの表だけを見て分かることもあるし、他の表と合わせて分かることもある。
例えば、世界でのアルコール消費量は増加しているが、日本においては減少している。
殊に2.30代での消費に減少が顕著で、日常に酒の必要を感じない人々が増えていることが分かる。
これだけ見ると、
「日本は世界に先駆けて“酔わない国”になりつつあるんですね、良かった良かった」
とか、
「それって目覚める人も増えつつあるってことじゃないですかね!」
とか、自国が良い感じだと嬉しい人や、それを目覚めに繋げたい人は、こうした解釈に着地させたくなるかも知れない。
だが、「エナジードリンク販売金額の推移」や「エナジードリンク性年別購入率」の表を観察すると、「飲まなくなったのではなく飲むものが変わって来た」ことも見えて来る。
エナジードリンクは直接人を酔わせない。
覚醒したかの様な状態に導き、没入する力を増幅したりすることも出来るそうだ。
その為、やりたいことをやる気力体力を捻出する時に使う人も居るらしい。
やりたいことの出来る、結果の出せる自分。
そうして作り上げる自分像に酔うことの方が、酒に酔うことよりも楽しいとしたらどうだろうか。
そうでなくても人にどう見られているかが気になるだけでなく、人からどう誉められるかが気になる世の中、人からどう共感や支持や賛同を集められるかが重要な世の中である様なので、
飲んでも賞賛されることがなく、
不健康のイメージがあり、
嫌な場に付き合わされることもあり、
金も時間も溶ける酒は、
はっきりって割に合わない
そう見る人々が増えても不思議ではない。
宮司を名乗る“これ”にとって、酒は飲んでも飲まなくてもどちらでも構わないものである。
同時にどなたが飲んでも飲まなくてもどちらでも構わないものであるし、それはエナジードリンクについても全く同じ。
どちらでも自由。
只、真の覚醒に何の服用も必要ないことは明らか。
意識を解放し身一つで覚めることを意志する人は遅かれ早かれあらゆる酔いに拘らなくなり、縛られなくなる。
手を替え品を替えしてどうにかして割に合う別の“酔い”を得ようとするなら、それは進化ではなく移動なのだ。
何のご都合手品も必要としなくなると、シンプルな事実の中に、モノコトの進化や移動を発見出来る様になる。
繰り返す移動の、右往左往する動きの間から、進化した存在が立ち上がって来ることもある。
誠に以て、面白いものである。
拘りなしに、みてみよう。
(2023/2/16)