《裏を切る?》
先週記事に出て来た或る武将とは小早川秀秋。
浪漫の城では甲冑に身を包んだ、シュッとした感じの若武者風に描いてあったが、資料によってはこんな感じ。
「武将?」と二度見する程、戦いどころか日常生活もしんどそうなデリケートさを感じる。
あながち間違いでもなかった模様で、21歳で体調を崩し世を去っている。
生来病弱だったのではなく、幼少期からの飲酒によるアルコール依存が健康に影響を及ぼしていたと言われている。
その生涯を伝えられている範囲でざっくり辿ると、
秀吉の後継者候補として親戚筋から見出され、
まだ幼いうちに元服、
沢山の大人達からの接待でアル中に、
秀吉に実子が生まれたことで後継としては不要になり小早川家へ入り、
改易で所領を没収されたり、減封転封となったり、かつての“実家”豊臣家からの扱いは厳しく、
秀吉の死後にやっと復領、石高も増加、
そのタイミングで関ケ原。
これ裏切っても仕方ないのではとなる様な情報が沢山出て来た。
逆に、冷遇を厚遇に変えてくれた徳川含む東軍側の人々への義理を果たしたとする見方だって出来そうである。
実際、初めから東軍についていたと言う説もあって、そうなると裏切りそのものが成立しない。
だが何でか小早川秀秋は裏切り込みで、時には裏切りと言えばこの人みたいな感じで扱われている。
歴史を観察してみると、裏切りを担当してくれる端末って中々見かけない。
海外だとユダとかブルータスとか何やかや出て来るが、日本では表立って「裏切者~!」と指さされることは割合に少なく、ある意味で貴重な人材と言える。
謀反や反乱と違って、裏切りは何だかこそこそしている。
「私が裏切ります!」みたいなやあやあ我こそはの宣言がなく、裏切られた側や周囲、世間から指摘されなければ、たぶん知らぬ振り。
そんな面もあって、裏切りは通常あまり歓迎されない。
秀秋の話に戻るが、お名前変遷だけでも、
木下辰之助→木下秀俊→羽柴秀俊→豊臣秀俊→小早川秀俊→小早川秀秋→小早川秀詮(読みは同じく、ひであき)
と目まぐるしく変わっている。
20年でこんだけ変わったら、「俺って何!?」と意識が混乱しても不思議ない気がする。
ずっとして来た混乱が極まって、天下分け目の大一番で「ヤーーー!」と繰り出した動き。
その中に、保身や復讐等と言ったエゴを働かせた動きを、超えたものを感じる。
だからこそ、これ程までにこの人物は後世の人々から、裏切り込みで受け入れられ楽しまれているのかも知れない。
人は裏切りを恐れ、裏切りを憎む。
その一方で裏切りに魅かれもするのだと、小早川を通した発見で知り、裏を切るとはこの世の見えざる裏、全母たる虚空を切ろうとすることだと気づいた。
切ることで、知りたかったのだ。
無い様に見える其処に、何かがあるのか。
あるとすれば、何があるのか。
小早川の冒険は、人類がちょっとしてみたかった冒険なのである。
物理次元の裏にある虚空を切って分けることは出来ない。
有限に見える世界と無限なる虚空とは、切っても切れないものであり、分かれて見えているだけで、世界の方も無限である。
切れない裏から、生まれている。
(2022/12/26)