《腹が減っては?》
「そう言えば何でだろう?」
ひょんなことを切っ掛けとしてパタパタと連続して気づきが起こり、その中で興味が湧いた言葉がある。
それは、
腹が減っては戦ができぬ
意味を調べてみると、
「腹が減っていては何をやっても身が入らず、成果が上がらない。」
「何事も腹が減っていてはよい働きはできないというたとえ。」
等、出て来た。
何をやっても
何事も
つまり、あらゆる行動って“戦”なのだろうか。
目標を定めてする分については、と限った上でのことなのかも知れないが。
何でだろうとなったのはこの、行いを戦と表現する物の見方についてである。
資料の一つに解説として書いてあったのが、
「腹が減っていては、十分に活動ができない。もちろん戦うこともできない。
物事に取り組むときは、まず腹ごしらえをしてエネルギーを補給するべきだというたとえ。
「戦」は「軍」とも書く」
だった。
軍?
軍であれば、集団対集団と言うことになるが、解説にはチームですることと限って書かれたりはしていない。
一個人の行動についても腹が減ってはの表現は使われる訳で、その場合の“集団”って何だろうか。
もし人型生命体が単独で行う目標の定まった動きを軍と呼ぶのなら、体の各所は隊であり細胞の一つ一つは兵、と言うことになる。
そうやって、一体何を倒して、何を得るのか。
何処かから敵が来ると言うのか。
謎だらけだと腕組みしつつ首を捻っていて、ふと気づいた。
覚めない間は、気合いを入れる時に危機感からの奮起を利用しがちであると言うこと。
気分を盛り上げる為の手段として、戦や軍の字をあてて
「いくさじゃ!」
と勢いづけてみたのかも知れない。
覚めない状態だと、行動を戦にすると言った派手な飾りつけも可能になる。
改めて、不覚時代の作られた意味について腑に落とし、頷いた。
腹が減っては戦が出来ないのと同様に、満腹でも戦は出来ないのじゃないだろうか。
奪って得る気も薄れるし、
腹一杯になれば眠くなる。
野生動物は満腹の時には狩りをしないと聞く。
冒頭のひょんなこととは散歩の途中でふらりと立ち寄った、野生に暮らす生き物達を被写体にした写真展である。
そこで、狩りと戦は違うなぁと、当たり前のことに気がついて、腹が減ってはの奇妙さにも行き当った。
野生動物の暮らしには冷蔵庫も金庫も武器庫もない。
するなら土の中に埋める位だろうが、匂いをつけて主張は出来ても、鍵も名札も付けられない。
狩りについても面白いことが分かったので、それは木曜記事にて書かせて頂くことにする。
狩に守の入る謎。
(2022/11/21)