《老いに満つ》
秋分も過ぎ、雨風も手伝っての丸洗いで彼岸の時期に勢いを増す一新を行った物理次元。
何と言う行き届いた運びだろうかと、その見事さに唸った。
連休のある時はお出かけ日和でとか、通勤通学のある日はそれに影響しない天候でとか、不覚社会で暮らす人々の願いの照準は未だに
「ワタシら人間にとって安全快適に!」
と言う要望に偏ったままになっている。
もし自然が人類に対し召使いの様に仕え畏まって何でも望みを叶えていたら、主人気取りでどんどん当然のハードルを上げて終いには
「雨は適度な量を、夜の間だけにして!」
とか命じる様になっていたかも知れない。
成長せずに増長だけするパターン。
人類だって自然の一部なのに、そんな奇妙なことさえやりかねないのが不覚の、ある意味で言えば“力”である。
虚空にとってやっちゃいかんことは特になくつまりは何でもありなのだから、進化変容までの途中を一部そうした路線にすることも出来たはず。
だが、ありがたいことにそんな望みは叶わず、やんちゃ坊主な人類がほんの100年位環境を好き放題にいじくり回していた歪みが、もう逆流し押し寄せてアップアップしている。
何故、ありがたいのかと言えば、虚空が我儘放題をさせて可愛がるペットとして人型生命体を作ったのではなく、無数に分かれて観察を行う自らの分身として発生させたことを、この成長を促す運びに見ることが出来るからだ。
無限なる虚空は有限に見える世界を生み成し、その中で更に自らの雛型である人型生命体達を着実に育んで来た。
不覚状態の分割意識が目を覚まし、御神体との和合である結婚、変容で分神となる。
分神の誕生を実現する運びとしてこのアップアップも起きていると言うことは、当然にこれも又弥栄なのだ。
各自に覚めないままの遊びを伸び伸びとさせて、得られる経験を集めることが必要だった時代に人々が馴染んでいた、ひよっこテーマパークとしての物理次元は既にもう存在しない。
変容ウォータースライダーに人類丸ごとが入っている最中で、適応出来ない面々がこんな話は聞いてない返せ戻せと騒いでいるが、止めたり巻き戻したりする装置は付いていない。
こんなの嫌だと、じゃんじゃん降りて行くのも自由。
乗りに乗って加速を楽しむのも自由。
この変化を楽しむことが出来る人々にとっては、益々面白い日々となって行く。
こうして書くと「嫌だとして去る人」と「受け容れて進化する人」の二択みたいになるが、実際はにはもう一つある。
「やり切って満足して去る人」である。
この所、不覚社会で長寿とされる年数を生き、これまでの人生に満足して今この瞬間を楽しんでいる人々について知る機会が増えている。
生きる姿そのもので、老いを祝うことをしている人々と言える。
上から示された流れであるのと同時に、こちらとしても興味が湧いた。
年齢が幾つであるかはあまり関係なく、今と人生に納得し満足している人の言葉や生き様に興味がある。
逆に、どれ程立派そうなことや正しそうなこと、優しそうなこと、綺麗そう貴重そうなことを押し出しても、納得と満足がなければその人への興味はなくなる。
やり切って満足して去ろうとしている人達は、自らの旅の終わりについても冷静に観察し言及する。
そこには無念さはなく、かと言って誇るでもなく、只静かさ穏やかさ、そして爽やかさがある。
彼らは終わりの予感に溺れたりせず、それはそれとして今を生き、生きることを楽しんでいる。
それはそれで、素晴らしいことだ。
彼らについての情報を受け取っては、見解を書き留めて、更なる理解へと熟成させることを続けている。
それは人類の自由への探究の研究であると同時に、不覚とは何か、エゴとは何かを更に深く知るヒントにもなっている。
この学びについても、ありがたいことだと感謝している。
「嫌だとして去る人」と「受け容れて進化する人」「やり切って満足して去る人」。
度々、上から「モノコトは2でなく4」と示されて来たが驚くことにここに関しては4ではないらしい。
「嫌だと駄々をこねて残る人」は、無いそうなので面白いことである。
頭で満足は出来ぬ。
(2022/9/26)