《神の復権》
人々が意識や社会の中に作り上げて来た聖域が崩れる。
お分かりの通り、それは全母たる虚空や目に見えぬ存在達からのお叱りでも罰でもない。
変容の時代の自然な流れに合わない、新生しない古い殻が剥がれ落ちている。
只それだけの変化である。
ようやくこの状態まで来たかと言う感じだが、これまで分割意識に従って様々な体験を重ねて来た静かなる神、御神体の復権に大きな後押しの波が来ている。
単に「体」とされて、意識の容器みたいな扱いだった不覚全盛時代。
時代は変わり、御神体本来の神性を無視した動きをすることは日に日に難しくなっている。
出来ないこともないがその場合は消耗と疲弊、それらを感じない様にする為に起こす感覚の鈍麻がセットになって意識の方にも返って来る。
これまで当然の様に行って来た、負担を御神体にだけ大きめにかけると言うことが出来なくなったのだ。
感覚が鈍くなるので、意識の方では更に無理を重ねようと試みたりするが、全体一つの流れからの応援がないので何につけ空回りしがちとなり消耗も疲弊もとても速くなる。
虚空も誰も、それを止めない。
どんな場合においても、当人の自由意志が認められるからである。
「自由意志は行使します、でもその結果消耗や疲弊が起きたら、それは天が見捨てたせいです」
とは無茶な話だ。
目に見えない変化なので自ら気づいて行く他ないが、この時代において体を操って、無理をさせて、なあなあにし続けることはとても難しくなっている。
御神体の感覚に意識を向けて協力し合って活動するか、心身ともにすり減らしながら力尽きるまでやりたい放題するか、どちらかに舵を切って行く。
自らに限らず、他者と認識している存在を操って意のままにしようとすることにも、応援がない。
殊に、御神体を勝手に扱うことに対しては、相応どころか倍返し以上の“反動”が来る様になっているのは世を騒がすニュースからも明らか。
各種ハラスメントも命がけの危険行為になっているが、行う側は“ちょっとしたおふざけのスキンシップ”とか“無邪気なふるまい”と意識の中で可愛いモノ化していたりする。
そうした大きな温度差からも、自他の分断を強くし相当に感覚を鈍らせている様子が見て取れる。
覚める前でも御神体の感覚を意識することは出来る。
「体に良いことをする自分像」が気に入っている分割意識にとっては、セルフイメージをより良く出来る満足感も手伝ってこの流れは心地よい。
だが、健康志向の人々の中には不健康な生き方やその状態にある者を下に見る人も居る。
チクチク突いて自身の優越感の糧としたり、良かれの気持ちも混ぜて助言を装った批判をしたりと、健康に精出すあまり心が忙しかったりすると、これはこれで健やかとは言えない。
エゴを持ったまま健やかであろうとすることは、口に物を詰め込んだまま深呼吸しようとするみたいで、捗らない動きだ。
方法で健康になろうとすることには限界がある。
真の伴侶である御神体が如何に素晴らしく可能性に満ちた存在であるか、素直に意識を向けることの方がずっと心身を健やかにする。
そうして意識を向けると御神体に何が必要であるか、その時々に応じて自然と知れる。
知れたことを実行する。これで十分。
この静かなる美しい神の、語らずともそこにある驚くばかりの叡智。
分割意識は、それに有難く付いて行く位で丁度と言える。
まずは、そこから。
(2023/5/25)