《目を割る元》
「こんなに調べて、ないとはなぁ」
ひょんなことから役目と役割の違いについて調べていた宮司。
魂にも関係するからであるらしい。
だが、集めた資料ごとにそれらの線引きは違っており、先程までの線引きを別の線が打ち消す形でどうにも定まらない。
役目を
「役として成しとげなければならない仕事。役としての務め」
とし、
役割を
「役目を割り当てること。また、割り当てられた役目」
並びに
「社会生活において、その人の地位や職務に応じて期待され、あるいは遂行しているはたらきや役目」
とする説明には、
「えっ、役割って役目を割り当てられたものって言うけど、役として成しとげなければならないってなってる時点で、役目ももう割り当てられてるんじゃないのかい?」
と、首を傾げたり、
役目を
「人間なら誰もが持っているはずの、責任を持って当然すべき仕事、物事の通常の働き」
として、
役割を
「俳優の役を表すほかに、最後までやり遂げるために、個人に割り当てられた任務、物事の重要な働き・作用」
とする別の説明には、
「その指示を出す、目を見出したり割り当てたりする元によって、呼び方が違うってこと?」
と、首を傾げたりしている。
役割の方が社会が求めるものだと言う説明もあれば、役目の方がそうであると言う説明もあり、そこさえ一定ではない。
埒が明かないので語源を調べてみて、冒頭の「こんなに調べて、ないとはなぁ」を言うことになった。
調べてもまぁ、出て来ない。載っていない。
やっと一冊の語源辞典で、役割について「語源は「役(しごと)+割(割り当て)」です。役目を割り当てる意です」の記載を発見。
どうやら役目と役割がどの様にして言われる運びになったのかについて、人はあまり興味がないらしい。
「やくざの語源はどれにも出て来るのになぁ」
ちなみに役割について記載があった辞典では「語源は「カブの札、八、九、三。合わせて二〇で一番弱い数」のことをいいます。ダメな奴の意です。最高点は、三枚で、九点です」と書いてあった。
ダメと言いつつ、恐れたり気にかけたりする。
多くの人はやくざに対して特に何か行動を起こす必要も予定もないだろうに。
自身で行動を起こす必要が生まれる役割や役目に向けてより、多くの時間をかけて書き記しておくのは不思議なことである。
個人や団体が求める役、社会が求める役、天が求める役。
人は色んな役をイメージする。
御役目と言ったりする様に、役割より役目の方に天命的な雰囲気を感じている模様。
広大で継ぎ目のない天に、地に点在するちんまい人間には到底理解し得ない深遠さを感じる人々は、天上からのお役目をありがたく拝命する姿勢で受け取る。
だが、天は点に通じ、あらゆるものは格の違いなく点滅し流動し、一体であること。
中心の虚空から送られるメッセージと時に応じて巡って来る役の一つ一つに、何の軽重の差もないこと。
これらを既にご理解下さっておられる皆様は、来た役に対し闇雲に畏まりへりくだって屈んで受け取ったり、少しでも上等な役を受け取ろうと先んじてへりくだって屈んでみたりなどと言うことはなさらないだろう。
役目が生まれるのも、その割り当てが起きるのも、全一なる虚空の「知りたい」「体験したい」と言う歓びからである。
ご褒美として好い目を見たいが為に役目を求めるのではなく、「知りたい」「体験したい」の意志を歓びで放てば、自然と背筋が伸びて丁度の役を丁度の機会に受け取ることが出来る。
背中には胸と違って凹凸がほぼない。
あるとしても背骨のポコポコした感触位である。
屈んでいると、役が来てもツルーッとそこを滑って落ちて行く。
何をやったら良いか分からないと言う方が未だ居られるかは分からないが、もしそうであれば何をおいても、
真っ直ぐ立つこと
これに集中なさって頂きたい。
目を割る元は、空。
であれば何を得ることが、そして何を失うことがあるだろうか。
全ては空から生じている。
至福の天意満ちる空から。
選り好むなら、役には立てぬ。
(2022/7/11)