《横っ跳びダンスタイム》
欲望を持て、と言うプログラム
があると、先週記事にて申し上げた。
それに気づく切っ掛けの一つとなった記憶がある。
記事に書かせて頂いた、電車の中で遭遇したちいさな下ネタ伝道師がやたら繰り返す「下ネタ」と「ヤバい」を聞きながら、ふいにそれが蘇り、
「ああ、そうだ…ズラだ…」
となった。
数年前にやはり電車内で、ちいさな人がやたらと勢いよく喋る姿をお見かけする機会があった。
話す内容はとりとめもないものだが、一貫しているのはその語尾に必ず「ズラ!」と付けていること。
下ネタ伝道師と同じ様な凄い勢いでとにかく喋る、喋りまくる。
ちいさな人達の中で見かける生きる力が有り余った結果そうなっていると言うまさに元気な感じとは、ちょっと違うなとその様子を眺めていて、やがて気がついた。
何か伝えたい内容があると言うより、ズラと言いたいが為にあれこれ喋っている。
会話でなく、ズラがメインである。
下ネタ伝道師も、会話よりシモネタ・ヤバいが重要なのだ。
そもそも、どちらも殆ど会話になっていなかった。
親御さんだろうか、ズラ坊やの傍で聞き役として取っ捕まっていたおおきな人は、余程ウンザリしていたのか無視まで行かないがノーリアクションに徹していた。
ズラを言いまくる方も、相手に歓迎されていないことは分かっている様だったがそれでもズラ機能を停止出来ない。
やめられない、とまらない。
そんな所も、下ネタ伝道師とよく似ている。
その場の雰囲気お構いなしに、自分の発したいものだけ放ちまくる。
言葉の乱射である。
豆鉄砲の乱射でも、人は見るもの聞くものに多少なりとも影響される。
言葉の流れ弾が当たらない様にするには、なるべく意識を向けずにそこに居ないかの様にするのが近道だと、周囲の人々が考えたとしても不思議ではない。
銃弾と少し違うのはこの流れ弾は当たった人に、撃つ側と似たパターンの行動を指示する“感染”力があると言うこと。
これに対する恐怖が先週申し上げた、ヤバいの中身である。
ずっとみんなの注目の的になっているウイルスと同じく、うつっても症状は出たり出なかったりまちまちとなる。
ちいさな人達の様に、目に見えて不自然な振る舞いになったりしなくとも、やたらの繰り返しはおおきな人達にも起こり得る。
タバコが、過食が、ギャンブルが、買い物が、アルコールが、
やめられない、とまらない。
そんな動きはこの世に幾らでもある。
この反復プログラムのダウンロードを回避しようとして、応答する必要のない周囲は多くが無視を、一応責任者の立場にある人は無反応を決め込む。
先に進まない、繰り返し。
動きで言うと、反復横跳びである。
何かのトレーニングとして行うならそれも結構なものかも知れないが、本道を行く時に反復横跳びが動きとして適さないのは明らかだろう。
皆様の中に反復横跳びダンスで、自分ショータイムを彩ってみようとする方は今更居られないだろうが、それでもこれについて申し上げたのは、
望みがあるから欲を持つだけでなく、
欲と望みをセットで植え付けられる
そんなパターンもあると言うこと。
これをお知らせするのともう一つ、
欲望がコピー転写出来るなら、
魂からのものと感じる情報も、
内容が被っていることもある。
ここをお知らせすることも必要だったからである。
その欲は、オリジナルだろうか?
その望みは、オリジナルだろうか?
案外と、独自性なし。
(2022/7/25)