《有事無事》
ウイルス騒動の落ち着きと入れ替わる様に、有事に発せられる警報が増えて来た。
出し方が適切かそうでないか意見が分かれると言うが、適切な警報ってどんなものなのだろうか。
「こうあるべき!」の基準を個々に持ったままの分割意識達にとっては、適切の感じ方も当たり前にそれぞれ異なる。
それぞれの感覚にフィットした警報が出る日は来ないし、どんなに工夫したとして、警報である時点で歓迎はされない。
有利や有能有益を好み、無理や無意味無駄を嫌う、世の人々。
有罪は責められ有害は嫌われ、有名に憧れる一方で無難に落ち着くことで安心したりもし、神社仏閣に行けば無病息災を祈ったりもする。
有事の際にも無事を願う。
有と無のどちらが世間では人気なのだろうか。
万人に適切な警報を作れないのと同じく、これにもおそらく答えは出ない。
好きなものは多く有って欲しいし、嫌いなものは無いか最小限であって欲しいと人々が求めているから。
それぞれの好き嫌いで味付けした基準を使い、ちょっとでも気に入る状態に近付けようとあれやこれやしている。
「事故」と書いただけではどんな出来事が起きたのか知れない様に、「有事」もこれのみではどんなことが有ると言うのかはっきりしない。
只、「大変なことが起きてるぞ!」の危機感は煽って来る。
わざわざ報せる必要のある「コト」が発生し影響を及ぼしている状態が、人の言う“有事”。
「有事」とは実際どんな出来事を指すのだったろうかと調べて確認してみたら、
「戦争や事変など、非常の事態が起こること」
と辞書に出て来た。
「戦争・事変、武力衝突や自然災害などにより国家にとって非常事態が起きること」
と、書かれた事典もあって、争いの状態によって戦争や事変や武力衝突と言い方を変えている。
そして自然災害も不覚的有事のメニュー一覧に入っている。
これ以外に、
「国家や企業の危機管理において戦争や事変、武力衝突、大規模な自然災害などの非常事態を指す概念」
と言う説明も発見。
国家の一大事に限定せず、企業活動の中でも有事と呼ばれる事態は起こる様である。
有事の対義語は、無事ではなく、平時や日常時であると言う。
事が時にすり替わるのは、同じ「ジ」の音を持つからだろうか。
平時を「平和な時」とするなら、有事とは戦時だとも言える。
あっちこっちでお気に入りの古いやり方が崩壊しているので、もう盛り上げるにはいっちょ戦争でもやっとかなきゃと言うことだろうか。
戦争は興奮出来るし儲かると、エゴを使って遊び続けたい意識達にこの上なく便利な動きとして重宝されている。
但し、これも当たり前に虚空による観察の中で起きている一幕であり、戦争したい人々の作ったシナリオに沿って世界が動いている訳ではない。
世で様々に起き続ける変化の中で、天意からの愛に気づき全母性を発揮する人々が現れる。
正しいも間違いもなく「あぁ全てが同じものであったじゃないか」と静かに理解し、その瞬間には言葉さえなく、原初の感覚記憶を甦らせる人々。
その誕生を、虚空は天意と歓びで観察している。
モノコトは全て無限なる虚空から生まれ、虚空へ還る点滅。
有と無の在り方に人が手を出して好みに合わせて操作しようとしても、戯れる程度に留まるのみ。
一時流れの力を借りて勢いを増してもそれは儚いもので、やがて消えるのだ。
有事の中見る、無事の夢。
(2023/4/17)