《春分凡クイズ・解》
月曜記事にてお知らせした、「現状の不覚社会で、最も不自然なことは?」のクイズ。
その答は、
支配すること。
変容の時代にはそれぞれの自由意志が何よりも大切なものとして、当たり前に認められている。
支配は、その自由意志の殆どを封じようとする行いだからである。
支配者は己や己が気に入った者の意を通す為に、その他大勢にも自由意志のあることは無視する。
誰かの自由を奪おうとしてあれこれ行動する自由≠誰かの自由を奪う自由
不自然な状態を求めるものであっても、行動する自由は誰にでもある。
だが、その反動も必ずあるし、誰かの自由を奪う自由なんてものは存在しない。
ところが気に入らない部分を無視するのが得意な者達は、都合よく上記の「≠」を「=」に変えるし、更に都合よく「自由」を「権利」に書き換える。
誰かの自由を奪う権利も勿論、何処の誰も持っていない。
「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」が通用しないのと同様に、
「お前の力は俺の力、俺の力は俺の力」も通用しないのである。
支配と、支配を目的とする行動全てに対しては、サポートが全く無くなっている上に最も不自然なので、実現のハードルも上がっている。
「じゃあ何で今、支配者が派手なドンパチで沢山の人を傷つけたり苦しめたり出来ているんですか?」
そんな風に疑問を感じる方も、もしかしたら居るかも知れない。
強権を振るえているのは、一体何故だと。
力が有り余っているから出来ているのではなく、弱って行く流れに怒りと恐怖を感じ耐え切れずに暴走しているだけなのだ。
最も上手く行っている支配とは、どんなものだろうか?
それは、支配されている側にそれと気づかせない支配である。
みんな自由に暮らしていますと言う見せかけの予定調和や安楽が保たれている裏で、ごく一部が欲しいものを好きなだけ得て、力も好きなだけ集める。
それが支配の「一番効率よく順調な状態」なのだ。
そんな余裕はとっくになくなり、支配者も表舞台に駆り出される時代になっている。
その裏では、各キングを仏像の御前立とするなら本尊にあたる、キングメーカー達も騒ぎ出しているのだろうなと、賑やかな不覚社会の騒動を静かに眺めている。
何だってこんなことを書いたかと言えば、この時期になって未だ支配への欲望を内に残すのは、相当危険な試みであるとご承知置き頂きたいからである。
悪意満載の分かり易い支配だけではない。
善意や優しさや勇気に満ち溢れる様に見える、英雄による人心掌握も支配の一種である。
大多数にとって悪っぽく見える支配者も、ズームインして近場で見ると、彼らにとっての善や正義を勇気で実行している人だったりする。
自称正義対自称正義。不覚に任せておけば全く切りがないこのシーソーゲームが、少しずつエネルギーが枯れることで、ゆっくりと静かに終焉を迎えようとしている。
枯れますよの通知が「独裁状態の悪目立ち」と言う形で、象徴的に表れてもいるのが興味深い。
大統領から牧場主から、色んな独裁状態が周囲に丸見えになって、「彼らにとっての普通」でしかなかった不自然なことが、「変だ」「おかしい」と言う指摘に晒されている。
一国だったら暴君だけど、この家は主の俺が好きにしていいとはならない訳で規模は関係ない。
一対一の個人間で「絶対勝てると踏んだ相手」に対してする支配も、勿論支配である。
先程危険な試みと書いたが、支配は全くお勧め出来ない。無論、止めたりもしないが。
必要なのはまず内側に支配癖が残っているかを観察して、もしそれがあれば消化&昇華をし、その次に世の様々な支配を中立に観察して行くことである。
大小関わらずこれから色んな支配が、あっちこっちで暴発したり枯れたりする。
その有り様は、目の当たりにした時に変容の時代の進みを知る目印となるのだ。
どの支配からも卒業。
(2022/3/24)