《成る程に》
本日は成人の日。
一旦は和らいだかの様だったウイルス騒動が再び盛り上がったことは、成人を祝う行事にも影響した模様。
出来るのか出来ないのかで揺れに揺れたり、するにしても相当気を張って慎重に臨んだり、どうにも落ち着かない感じになっている。
不安定な状況下で、それでも時と場は進む。
凍った道を進むのに少し似ているなと気づき、昨年末に雪のある場所へ出かけた時に、踏み固められて氷になった所をちょこちょこ歩きながら
「年忘れつるつるチャレンジ2021」
の言葉が口から飛び出した記憶が蘇った。
正月過ぎには東京周辺では珍しい量の雪が降り、氷の下地が出来上がったタイミングで
「あけおめ!つるつるチャレンジ2022」
と出て来たので再び、一歩にどこまで集中出来るかの機会を味わった。
そんなつるつるチャレンジの合間、雪の降る中を出かけた先で、長いエスカレーターを昇り降りする間に興味深いものを見た。
これは壁面に文字を配置した美術作品で、歓喜の歌でも知られるドイツの詩人シラーの言葉が記されている。
日本語で示されている内容は以下の通り。
樹木は成育することのない
無数の芽を生み、
根をはり、枝や葉を拡げて
個体と種の保存にはありあまるほどの
養分を吸収する。
樹木は、この溢れんばかりの過剰を
使うことも、享受することもなく自然に還すが、
動物はこの溢れる養分を、自由で
嬉々とした自らの運動に使用する。
このように自然は、その初源から生命の
無限の展開にむけての序曲を奏でている。
物質としての束縛を少しずつ断ちきり
やがて自らの姿を自由に変えていくのである。
フリードリヒ・フォン・シラー
これは、彼がデンマークの王子に宛てて書いた手紙の一部を抜粋したもの。
“自然は、その初源から生命の
無限の展開にむけての序曲を奏でている”
とは素晴らしい真理の感得であり、この作品が出来た当初は訳が違っているとか色々言われたそうだが、中心から外れてはいない。
これを見て「何だ分かってるじゃないか」となった宮司が辺りを見回すと、その時に周囲で昇り降りしていた人々はこの言葉に目を向けることを誰もしていなかった。
この作品、かれこれもう四半世紀程前から置かれている。
ずっとそこにあるものと、それを見ない人々。
興味深かったのは、その光景である。
世界は無限に展開している。
だが、それを理解実感することに向けて、意識の成長を必要とする。
十分に成長し成人した時、つまり真の大人となった時、それまでの不覚体験は序曲であったと分かるのだ。
誕生してから二十年と言う区切りではなく、真の成人を迎えた人、又それをする意志を内包した人は、あの場所を通れば自ずと書かれた言葉に目が行くだろう。
「何か書いてあるな」「意味は分からんが成る程と言う気もする」とか、「これはまさにそうだよなぁ」「本当は皆、分かってるんじゃないか」となったり、反応は様々。
それらを文字の記された大きな御影石の奥から、全母たる虚空は天意で観察している。
真成人は、不覚から覚への変容と言う意味では一つの到達と出来るが、そこで行き止まりではない。
深まる程に、
広がる程に、
澄む程に、
愛する程に、
それらが成る程に、成人後も成長は進み、歓び栄えて行くのだ。
成るものは成る。
(2022/1/10)