《惜しみなき世界》
“君がため 惜しからざりし 命さへ
ながくもがなと 思ひけるかな”
百人一首の50番である、この藤原義孝の和歌は、
「あなたとの恋を叶える為なら、
捨てても惜しくはないと思っていた命でさえ、
成就した今となっては、あなたと逢う為に、
長くありたいと思うようになりました」
とまぁ、意訳にはなるが大体こんな感じのことを言っている。
叶った途端にコレ。
「ちゃっかりしてるぅ~」
と、千年以上前の人でも現代とあまり変わらないのだなと感じつつ、しみじとこの歌を眺めた。
「人の変わらなさ」と言うより「エゴの変わらなさ」。
ゾンビみたいに生きもせず死にもせず動くだけのパターンをエゴは作る。
エゴは生命体ではなくプログラムなので、変わらないことにも別段不思議はない。
この様な「命も惜しくないもんね!」のテンションや、「惜しい人を亡くした」の哀切を、人間は重要視する。
強い情動反応をもたらして心を揺らすから、ひいては反応する側の生きている実感も強くするからである。
「惜しい」や逆の「惜しくない」で発生する、適度に至らぬ欠け。
「身に余る光栄」や「もったいないお言葉」等の様な、適度を超えたもの。
不覚社会は何かと、欠けるのと余るのが好きだ。
丁度よさに退屈して興奮を求める癖は、エゴが持つ中でも相当に根深いものの一つ。
この癖に沿って思考し、それを基に行動する限り、混乱は収まらない。
リア充の喜びと共にちゃっかりした感じの和歌をこさえた義孝だが、天然痘により21歳でこの世を去っている。
「えっ?!じゃあこのやったったぜ感溢れる歌って、幾つの時のさ?」
と、驚いた。
彼が正五位下・右少将になったのが18歳で、程なくして子も誕生している。
当時の人は現代と比較して、様々な点で「巻いて」生きていた様である。
一説によると、稀有な美男子であったらしい。
不覚的評価基準に照らせば、外見よし、家柄よし、知性、教養、才能よし。
そんなよしよし満載状態が夭折で終わるのは、絵に描いた様なドラマチックな人生と言えるのかも知れない。
こうした『人生』と言うミニドラマを人類は山程作り、そして放映して来た。
どんな悲劇も、どんな喜劇も、劇的な要素のバリエーションは既に出揃っており、そして出尽くしてもいる。
既出を越えられない後発作品は、近しい人々の記憶の中で幾らか繰り返して上映された後、自然と人類史中に埋もれて行く。
埋もれても、その時その形の中で、いのちが輝いたと言う事実が消える訳ではない。
輝く場所や現れ方が時に応じて違って来ると言うだけで、いのちは永遠無限に輝き続けている。
埋もれるのは“形の記憶”のみである。
冒頭の和歌であっても、永遠に残る保証などない。
千年後には誰もほっくり返さない様な深い所に埋もれているかも知れない。
千年二千年先にも有ろうとして作った訳ではないから、義孝も気にしないのじゃないだろうか。
彼から学べるのは恋の成就を「惜し」みで飾ってみる表現は、既に出たと言うことである。
惜の字を分解すると、
忄(心)+昔(重ねる)
昔、つまりは過ぎたことを何度も思い出して心に残る様子から、「惜しいと思う・感じる」ことを表している。
人は、全く知らないものを惜しんだり出来ない。
知っているものが失われることを惜しむ様に、不覚社会は通用しなくなったかつてのノリを未だ惜しんでいるが、新世界は何一つ惜しまず歓びと共にあり続けている。
陽の光も雨風も昼夜の巡りも、全く惜しむことをせず、必要なことを必要なままに行っている。
特定の人物や集団に合わせた都合を手離す時、照るも曇るも降るも自在な空の様に、空として自由に生きて行ける。
すると自然に、どの瞬間にも感謝が湧く。
只、その時の“今”を味わい尽くし、忘れる忘れられるを恐れずに愛と感謝で自由に生きる、至福の時代が既に訪れているのだ。
念を残さぬ、惜しみなき世界。
(2021/10/11)