《御の中》
天皇と言う条件から離れて広がった御。
その御の敵って何だろう?
前回記事で、この様に書いた。
覚めていない人々は個々の都合によって、相手が自分にとって敵か味方かを分けたりする。
だが「御」と言う字が示すものについて観察すると、個々の分割意識と即イコールで結べるものではなく、更にごちゃごちゃしている。
郵便で「御中」と宛てる時にそれが個人に向けられない様に、御には集団に向ける敬称としての意味もあるからだ。
他人の妻を敬って言う語である「御方様」の様に、御には一人に対し向ける使い方もある。
今日的な言い方ではないので、知る人も減り使う人はほぼ居ないだろう御方様。
既に「お」が付いている「おかた」に、「さま」を付けて更に敬う。
「御中は団体、御方様は単体」
もう何だか訳が分からないが、敬いに敬いを重ねてみたい時代もあったのだろう。
御方が天皇の側であって、御方様が他家の奥方であることから、天より奥により多くの敬いが重ねられている感じになっていて面白い。
天(点)だって、奥(虚空)から生まれているのだ。
団体宛に郵便物を出す際、特定の個人ではなく部署に宛てた時に使用する御中。
その字を眺めていて、集団の都合の前には個人の都合は伏せられたりすることもあると気づいた。
団体の都合の為に、個人としては納得出来ないこと、好まないことも行う場面は不覚社会において特に珍しいものでもないだろう。
団体にとっての都合も、個人の都合に全く無関係と言う訳ではなく、個人の都合があるから団体に所属をしたりもする。
畑仕事に精を出していたら、ある日招集通知が届いてこの役場に勤めて下さいと言われる、なんて運びではなく団体に所属する時には個人の意思がはたらく。
そして、その意思にはそれぞれの都合も少なからず影響する。
団体の中にも派閥があり、そこで敵か味方かに分かれたりもするので、御中でまとめられる集団が皆揃って味方同士とも限らない。
揺れ動きながら、集まったり、分散したり、敬い合ったり、戦ったりしている。
「フ~ム、本当に覗けば覗く程、御って意味も中身も訳が分からないな」
そう言った時に、ポンと呆気なく訪れた理解。
「それだって、結局空じゃない」
どれ程複雑に入り乱れてこんがらかっていようと、それもどんどん拡大して行くと結局は空。
御の敵とはこの種明かし、なのかも知れない。
空だと分かってしまえばあらゆる策略や闘争は、それこそ空しいものとなる。
「気づきませんように!まだ遊べますように!」
と言う気持ちを込めて、手間暇かけて複雑化して来たのだろうか。
御のごちゃごちゃに引っ掛からずに理解を奥へ奥へと進め深めるには味の中で、エゴにとって大きな魅力を持つ「旨」について昇華する必要がある。
次の記事ではそれについて書かせて頂くことにする。
御の中も空。
(2023/4/24)