《宿と天》
「うわぁ、面白いな」
敵とは何かから出発し、宿敵と天敵について調べていた宮司。
それぞれの違いから理解が広がり、面白さに手を叩いた。
ご存知の通り、この2つには異なる意味がある。
宿敵とは拮抗する力を持った、年来の敵。
ライバルや好敵手に近い意味合いとなるが、違う所もある。
ご覧の通り一騎打ちとは限らず、勝ち負けを繰り返しつつその関係を楽しむと言うよりは、いつか必ず勝つと、果たさねばならぬ宿願のある相手として、より結果を求める雰囲気がある。
昨日や今日の関係で宿敵とは言えない。
因縁の対決とか言ったりする様に、そこには物語が必要となる。
宿敵は単なる敵より、出来上がりに手間暇かかるものみたいだ。
宿敵が出会ってから時間をかけて関係を育てて行くのに対し、天敵は生まれながらに決まっている感じがある。
天敵とは自然界において、ある生物に対して敵となる生物を意味する。
「アイツに見つかったら食べられちゃう」
そんな危険を感じさせる、捕食や寄生をする側の生き物のことを、そうされる側の生き物の天敵であると人は言う。
天は地と共に広がる場であり、特に何とも敵対していない。
対等の力を持つだろう地とも、別に戦ってはいない。
だから天敵とはとても不思議な言葉なのだ。
天の後押しを受けて勢いを増している敵だから、捕まれば勝てずに食べられて死ぬと言う見方をしているのだろうか。
何処にも味方していませんが。
「天敵」の言葉には、人がエゴを使って「敵」なるものの見え方を歪めたことで、弱肉強食に勝ち負けを混ぜた
「勝てなければ死ぬ」
「食べられる(無くなる・消える)ことは負け」
の価値観が盛り込まれている。
宿敵が絵巻物みたいに長々と続く感じなら、天敵には見つかったら即&一期一会みたいなスピード感がある。
「楽しかったんだろうなぁ」
と感心した。
やあやあ我こそはから継ぎ足し継ぎ足しして作って行く宿敵も、「パクッ!」「しまった!ワー!」の天敵も、真剣勝負の新体験だった頃は面白く、楽しかったんじゃないだろうか。
人も、人以外も更に新しい体験に進もうとしている。
人は全母たる虚空の姿形ある分身、分神として物理次元の観察をする体験。
人以外は物理次元の一部として、分神から観察される体験。
ここに関しては未だほとんど手付かず。
素晴らしい新体験を生む、無限の可能性が広がっている。
宿と天、どちらにも感謝。
(2023/5/4)