《女の勘?》
「そう言えば、何でだ?」
先日、電車の中でのこと。
女性2人が、かなりの音量と勢いで職場の困った人について熱心に話しておられた。
こちらから数メートル離れており、間を縫って覗かないとどんな方々なのか分からない位、周囲に人が居た。
それでも話は届いたので、面白いことである。
何処が問題で、何が迷惑なのか、何故ああなのか、どうしたら良いのか。
探偵さながらに推理を展開させる彼女達の、その推理が大分所謂“女の勘”的なものに頼って運営されていることに気づいた。
そして、冒頭の「そう言えば、何でだ?」となった訳である。
女の勘とは言うが、男の勘は聞いたことがない。
「調べてみよう」
その場で「おとこのかん」と入力したら、「男の勘違い」と予測変換が出て来た。
どうやら男は勘の、蚊帳の外である模様。
「おんなのかん」も、「女の勘 当たる」の後に「女の勘 当たらない」と出て来たので、そう確実なものでもなさそうだ。
だが勘と来れば女みたいなイメージはある様子で、だとすればそれは何処から生まれたのだろうか。
すっかり楽しくなって調べ続けたら、女性はモノコトを観察するにあたり左脳と右脳の力を同時に使えるが、男性は左脳に頼りがちであり、それが勘働きの精度に関係すると言う説を発見。
但し、世の中には左右同時使用を得意とする勘の鋭い男性も居るそうだ。
「性差で完全に分けられるものではなく、あくまで傾向として…」と言った説明を読みながら、そりゃそうだとなった。
同時に、勘の限界について人類はどう感じているのだろうかと、興味が湧いた。
世の中で現在使われている勘には限界がある。
勘を働かせる人の意識に、個の都合と言う膜を張っているからである。
先の女性達であれば、
困った人はどうにかしなくてはならない。
問題と言うものはあってはならない。
嫌いな人間は避けるかやっつけるかしたい。
心に抱えた不満を吐き出したい。
仲間の話は聞いてやらなくてはならない。
話している互いが味方であることを確認しなくてはならない。
等々。
それらに夢中になるあまりか、車内で響いているのは殆どその方々の声のみ。
こちらにとっては面白いが、不覚社会では確か公共の場で騒げば「困った人」として扱われるのではなかったろうかと気づき、直ぐに
善悪や好みで固まっている状態で働かせる勘は、
鋭くしようとすればする程、別の所が鈍くなる
と分かって、感心した。
困った人についての思い返しに夢中で、今まさに自身が困った人になっているかも知れないことには全く意識が行かないと言うのは本当に面白かったので、出会えたことに感謝した。
「直感」を勘の別名として捉え、使用する人も居るが、天地を通して真っ直ぐでなければ、実際には私感の域を出ない。
私感を思考で煎じ詰めても、残るのは焦げた「思惑」だけではないだろうか。
甚だしく、捻じれる力。
(2023/3/16)