《失楽ムード》
記事にて失言や失火について謎だったことを書いたが、あれこれ調べるなどしている間に
「失は復となるのだろうか」
の問いも浮かんだ。
人間は失うことを嫌い、回復や復旧、復帰や復縁など何かと復を求める。
だが復言も復火も、辞書で調べても出て来なかった。
言や火については原状復帰や名誉回復をして、戻したりは出来ないものであるらしい。
放った結果として、失くしたものは取り返しがつかない。
そりゃそうだ。
本来全て今だが、人が順に流れていると認識し体感している“時”は巻き戻したり出来ない。
意識がこさえるイメージ映像を使って、そんな風な気分だけ取り込むことを、延々やっている人々は居るが。
もし実際にご都合タイムトラベルが出来るなら、御神体を付き合わせて更に好き放題するだろうか。
お気に入りの場面に引きこもって繰り返し再生したり、少しでも好みに合った展開になる様にやり直しを繰り返したりしたがるかも知れない。
たらればの話などしたが、全体一つの流れにはそうした“部分編集”は必要ないので、実現はしないだろう。
何故必要ないのか。
ご都合で繰り返せる行きつ戻りつの走行には、十全の未知はないし、瞬間を十分に味わってもいないからである。
選り好みせず、腑に落として進む。
十分な味わいはそこに生まれる。
地震や紛争干ばつ疫病、温暖化に国家間の緊張、経済不安エトセトラ。
色々な煮詰まりで世には、何となく失楽ムードが漂っている。
多少の開放感があって恐怖や嘆きもホラーハウス感覚で楽しめていた不覚キャンペーン実施時代には、シェイクシェイクブギーな胸騒ぎ程度であったものが、段々と洒落にならない雰囲気に変化。
僕達私達、そう言えば悪い子だったから追い出されたんだっけ。
と、一部にはこうやって嘆く気分も出て来ているのかも知れない。
良い子にしてたら仏サンタが理想の世をプレゼントしに来ると言う話は、まだ先だそうなのでそっち方面から見ると、苦行ムードと呼べるだろうか。
今起きているのはお叱りの失楽刑でも、叱咤激励の苦行研修でもない。
虚空は、物理次元で自覚のある状態での更なる未知の体験へ、事を進めている。
覚めない振りゲームをして遊ぶことを繰り返すだけの箱庭として、洒落や伊達や酔狂で世界を生んだ訳ではない。
これは自然な流れである。
失楽園には復楽園がセットになっているが、失言失火と違い復活は可能。
方法も、いたってシンプル。
目隠しを外すだけなのだ。
元からずっとあったもの。
(2022/11/17)