《叶えて合点》
先週ご覧頂いた凡短冊を完成させて、
「さて、どんな願いがやって来るかな」
と、う~んと伸びをして間もなく、これまで聞いたことのない相談を知らせる電話が来た。
携帯電話からのご連絡だったが、何でも固定電話が突然使えなくなり、何の音もしない状態が続いているのだと言う。
直ぐに携帯を使って電話会社に連絡を試みたそうだが、一向に先方へ繋がらない。
一体どうしたものかと言うお尋ねであった。
電話の相手はかなり驚き困惑した様子でもあったが、こちらでは
「はい、来た~~~!」
となっていた。
使えなくなった電話を使えるようにして欲しい。
これも願いである。それもかなり切実な。
そう言うことでしたらこちらでも何か分かるか調べてみましょうと、引き受けて調査を開始。
当初仰られていた契約先が実際のものと違っていたこと等があり少々曲がりくねったルートを経たが、その日のうちに必要な場所に連絡がついた。
そこからはスムーズに故障の原因を特定し、修理と復旧をすることが出来たそうである。
お礼の電話にて大変感謝されたが、こちらも調査を通して幾つもの気づきや学びを頂戴した。
ライフラインの一つであるだろうに、いざ通じなくなった時に、ウェブ上での問い合わせを求められる。
そのやり方に慣れている人になら何の苦も無く出来ることだが、馴染む機会がなかった人にとってはかなり難しい仕事になる様だ。
世の中で高齢者と呼ばれる人々の生活環境は、たとえ都心に住んでいたとしてもある意味で陸の孤島みたいな状態になり得る。
これは現況の情報収集と処理のシステムに対応出来ている世代ならセーフで良かったね、などと言う話にはならない。
現行のシステムに四苦八苦している人々もかつては、
「親父ィ、手書きなんてもう古いよ。
今はワープロの時代なのさ!」
とか、言っていたのじゃないだろうか。
これから数年後、数十年後に、現行と異なるスタイルでの情報収集や処理を求められる可能性は十分にあるし、今サクサクとやれている人々であってもそれに対応出来るかどうかは定かではない。
「便利は人を楽にはしないのか?…あ!そうか」
と、すぐ気がついて膝を打った。
不覚社会で求められる便利は、全体の余裕を生むこととイコールになっていない。
何故なら、効率を上げてより沢山の収穫を得る為の便利だからである。
より大きな回し車をより速く回せるシステムを作っても、
回している者が適度に休めたり楽になる訳ではない。
自身がどんなシステムの上でクルクル回っているのか、観察して気づくのは視野が狭まっていては難しい。
盲目的に足元を回すだけでは、何処にも着かないことをもう認める時期に来ている。
一カ所での電話の不通が復旧して少し後、不覚社会全体を驚かす大規模な通信障害のニュースが入って来た。
成程、使えていた通信が突然不通になるとは、ひとつ興味深いメッセージなのかも知れないと頷いた。
社会の中で求められるバージョンアップの波は、本気で中立を意志する分割意識にとっては、大きな成長の機会となる。
結果としてこれまでにない柔軟性と更新する力が育ち、それらは人類が自ら仮設定していた限界からの解放をも、もたらすだろう。
何のお返しも求めず、願いを叶えてみようとするだけのシンプルなチャレンジの実行によって、ここまで知ることが出来た。
「人類の進化と変容について知りたい」と言う、こちらの求めるものまで叶ったことになる。
全く以て、自他はないのだ。
故に、誠に以て感謝である。
叶えたら、叶っちゃう。
(2022/7/7)