《前へ前へ?》
本日は丁度ハロウィン。
この祭については以前の記事にて書かせて頂いたことがある。
そして、不覚社会の安全装置は既に外れていることについても別の記事で幾度か書かせて頂いた。
なので、特別な季節に興奮して盛り上がった勢いに乗ると人が人の圧で亡くなることもあると言うニュースについて、
「何で又」
と、なられた方はそうした記事を読み返してみられると、問いを消化し昇華するヒントとなるかも知れない。
特別な日を特別な季節として、期間を拡大することは昔から行われて来た。
当日が来るのに先んじて、お祭り気分で盛り上がることは、経済活動の面で重要な意味を持つ。
たった一日より前倒しして半月やひと月、ハロウィン風に色や形を整えた商品が店頭に並ぶ方が、売る方も買う方も盛り上がる。
期間の拡大は後ろの方には延びないのが面白い所である。
当日を過ぎれば、オバケのかたちをしたキャンディーやマシュマロも、味だけでなくデザインもカボチャに似せたパイやクッキーも旬を過ぎたものとなる。
これはクリスマスのツリーやケーキ、ポインセチアも同じ。
人々の心は次なるイベントに向かう。
後ろは振り返らずに先へと言うのは、ぱっと見は今に集中する感じだが、好機を求めてひたすら前へ前へとなっているなら中立とは言えない。
売る側の人は、更に数シーズン先取りして動いていることも珍しくないと聞く。
目の前に展開する実際の世界と、イメージ上に展開する仕事の上で求められるビジョンとの間をしょっちゅう意識が行き来しているなら、「今この時」を集中して味わうのに相当な力を必要とする。
不覚状態でそれをするのはかなりの難行と言え、人によっては覚めるにあたり意識を磨く素晴らしい機会として活かせるだろう。
全て今であると腑に落ちてからは、常に今に在って必要なビジョンを機に応じて展開させ、自然な流れで充実した仕事を果たすことが出来る。
全て今。
本質においては同じで、数字を使った印が付いているだけなのだ。
枝葉は分かれていても根っこは同じ。
書かれる文字は違っても台紙は同じ。
時間や空間瞬間を分離した別々のものと見なしていると、意識はずっと宙ぶらりんの状態に留まる。
宙吊りになって揺れては戻るブランコの状態。
優劣や善悪の判定を伴う勝負の繰り返しと言うシーソーゲームと同じで、行きつ戻りつの動きにしかならない。
痛ましい事故の報せを目にすることがあっても身内の話ではなく“自分達”から心的や物理的な距離が多少あるとなれば、それは別として盛り上がれるのが不覚社会あるある。
本日もおそらく、賑々しい祭の当日としてそれなりに盛り上がり楽しまれるだろう。
楽しむことは楽しむことであるだけで、良くも悪くもないし、正しくも間違ってもない。
シンデレラと混ざっている。何処に行くのだろうか。
全ては今であると同時に、唯一無二の瞬間の連続でもある。
二度とない機会として2022の本日を楽しまれるなら、丸ごと味わい尽くして見られること。
迷いなく、気負いなく。
そして、それは本来どの日においても同じであり必要なのだと気づいた上でなさるなら、素晴らしい進化の機会となるだろう。
前でも後でも、今の内。
(2022/10/31)
次回更新は金曜になります。