《まいごのもり》
「いやぁ、全くすごいもんだ」
先日ふと気づいて、改めて見渡した世間のあれこれに感心しきりとなり、気づけばそんな言葉が出ていた。
傾向と対策がまとまらなくなっただけでなく、医療のとか経済のとか、あっちこっちで正念場が発生。
豪雨や山火事と言った、人からは自然災害なんて呼ばれる動きも健在だし、温暖化もじわじわ加速。
国家間のガタピシによるきな臭い盛り上がりもある訳で、ありとあらゆる揺れが押し寄せてブルブル揺れてるみたいな不覚社会。
そんな中でも、人の暮らしは続く。
国内外のニュースをかぶりつきで見なくとも、世が大きな変化の波にさらされていることは普段の暮らしの中で多くの人が感じている。
感じた上でどう変化するか。
これはそう言う問いなのだ。
どうにもえらいことになっている。
なので、
A:誰の為にでも出来ることは何でもしたい。
B:己の為に出来ることは何でもして欲しい。
解としてAが出るかBが出るかによって、全母性の芽生えが起こるか、幼さをどんどん拗らせて行くかに人々の道が分かれて行っている。
ちなみに「己の為に出来ることは何でもして欲しいから、自分も何でもする」は、取引をプラスした解Bに入る。
何才だろうと、どの性別だろうと、全母性が芽生えると気力が増し、体力が増し、様々な後押しが起こる。
逆に幼さが拗れると、生き辛さが増し、それを加速させる様な出来事も起こる。
Bを出した人々が、Aを出した人々に助けて欲しがっても、そこについての後押しはない。
全母性と言う対象を特定しない母性の発揮は、「この私を何とかしてくれ~」と言う拗れた要求とは引き合わないからだ。
こうして道はどんどん分かれて行く。
全母性を開くか、迷子意識となるか。
つまり只今の世の大騒ぎは『全世界・母性統一試験』みたいなものなのだ。
ウイルスもワクチンも肩を組んで、試験の進行に一役買っている。
これを腑に落とし、冒頭の「いやぁ、全くすごいもんだ」となった訳である。
意識が迷子状態になると、“子供ちゃん気分”が増す。
我が身かわいさが増し、自分の傷や痛み苦しみには敏感になり、他人の傷や痛み苦しみには鈍感になり、つまりは自他の溝がくっきりと深くなる。
人気者になる為に“ママちゃん”役を買って出る子供ちゃんが出て一時教祖の様になったりしても、幼いままの意識がすることなのであまり長持ちしない。
全母性を開く人々は見返りを求めるどころか、してやった感すら持たないので、それが母性だと気づかないまま発揮している人も居るだろう。
母≠子守
そうした人々に迷子の守りをせよと求めることは出来ない。
解BがAに比べて悪い訳ではない。
迷子は、迷子と言う表現をしているだけなのだ。
ありったけの力で迷い混乱し、怒り悲しみ、自らを憐れみ、草臥れ果てるまで自身が求める“母”を呼ぶ。
そうして彼らの望むルートで虚空に還って行く。
それは何も悪いことではない。
皆それぞれに相応しい道を行く。
宮司を名乗る“これ”が担当するのは全母性を開き、「守る・守られる」と言う意識を卒業した人々なのでそちらに注力する。
子守も、子守の斡旋も出来はしないがせめて「悔いなき旅を」と、世に溢れる迷子達に心底からの祝福を送ることにする。
守られたいから、迷うのだ。
(2021/8/12)