《どうせ なら》
「どうせ〇〇だから」
と言った感じで使われる、どうせ。
これについてひょんなことから調べていたら、
「どうせ勝つんだ、気楽にやろう」
と言った使用例が出て来た。
自信満々かつ余裕綽々。
真剣勝負の気合いや覚悟がなくても、気楽にやっとけば勝つでしょうと言う状況。
「どうせやっても無駄だ」
とは、勝ちと負けのどちらのことを言ったとしても有り得るのだ。
にも関わらず、世の中で使われるどうせは、戦っても負けるに決まってると言う「勝利を諦めムード」の方に使用頻度が傾いている気がする。
負けるにせよ少なくとも結果に気がついている賢さはあったのだとでもして、良く分からない自尊心の補填をしたいのか、先にそう言ってみて「そんなことないよ」の励ましや慰めを期待しているのか。
理由は様々だろうが、どうせ負ける、どうせ無駄、どうせ失敗、どうせ大した結果にはならないと言った使い方は、これはこれで偏見な訳で、やはり随分と傾いている。
結果はそうとは限らないぞと言うメッセージだったのか、面白い使用例を見せてくれたものだと出会った資料に感謝した。
後ろ向きな雰囲気を出して使われることが多い点では、現代の世間で言われるどうせは所詮と似ている。
だが「どうせなら」と、ならが付くと投げやりや捨て鉢な感じとは雰囲気が違って来るのが又、面白いところである。
謎の“なら効果”。
所詮を離れて折角に近くなると言うか、今ここにある機会を存分に活かそうとする、腹を括った感じまで出て来る。
「どうせなら納得行くまでやってみよう」
「どうせなら思い切り楽しもう」
「どうせなら全部試してみたら」
これらのどうせには、どうせ何やったって…みたいなヤケになったりいじけたりの気配はない。
なら自体にグッドな意味はないので、トッピングによる味変が起きた訳ではない。
やはり、どうせ即ネガティブとは限らないのだ。
しかし、どうせならは思い切りの良い様でいて謎な部分を残している。
実際何がどうせなのか、又はどうせ何なのかがよく分からないのだ。
どうせとならの間に入るものは何だろうか。
そう問いかけて「どうせ」と「なら」の字を眺めて居た時、不意にそれが分かって意識に「!」の歓びが広がった。
上にあげた3つの例。
その中にある、納得行くまで、思い切り、全部。
これらは全て、「丸ごと」に通じる。
その丸ごとになろうとする元には何が在るか。
0。
0は丸にも通じる輪の形をしている。
無限の虚空から十全の物理次元は生まれ味わわれる。
当たり前のことだが同時にそして本当に、面白いことでもある。
どうせ一切空なら。
(2023/5/15)