《かかりごと》
「途端にこうですよ」
そんな独り言と共に、ヘルメットの後ろ部分を調節して頭部にフィットさせた宮司。
湧き水がじわじわと染み出て若干滑る岩肌に両手両足をかけて、じりじりと移動を開始する。
「こう」とは、母神祭が単独開催となった途端に、内容が一気にワイルド仕様に変わったことを指す。
「ヘルメットおじさん…」
浮かんで来たへっぽこなイメージをそのまま言葉にしたりしつつ、体力とバランス感覚を必要とする祭の予行を済ませた。
ツアコン気分やついでの旅行を満喫出来たこれまでの祭とは大分異なる雰囲気になって来たが、これはこれで面白く楽しんでいる。
観光地化されて整備も十分に行き届いている所には、そうした場所ならではの意味や面白さがある。
それと同時に、山深く人の手の入らない部分を多く残した所にも、そうした場所ならではの意味や面白さがある。
ご存知の方も居られるだろうが、神域には「招いちゃった系」と「呼んじゃった系」とがある。
「招いちゃった系」とは、おらが地域に○○の神様来て下されと、使用目的に合わせて本から分けて招く、勧請によって出来上がったもの。
「呼んじゃった系」とはそうした子会社的存在の元締みたいな有名どころから、知る人ぞ知ると言ったマイナーな所まで、その場所を見つけた人々が神と呼ぶのがしっくり来る“何か”を感じたことから出来上がったもの。
元々は「呼んじゃった系」だった所に「招いちゃった系」を合祀したりと、ブレンドタイプもある。
今回全母性に関する“提供”の意を示してくれた場所も、古くからの呼んじゃった系が、招いちゃった系の要素を浅く被った帽子みたいにチョイ乗せしている。
本体は途轍もなく深く、大きい、原始的存在の様であり、人間が正確に把握したり名付けたりすることも難しいだろうそのエネルギーと、静かに相対し過ごすひと時は、大変に豊かなものだった。
外歩きしている地元の人に一度も会わないし、日が暮れかけただけでびっくりする程寒くなるが。
こうした野趣溢れる場所に行けば行く程良い訳では勿論ない。
全母性に意識を向けて、素直に出来る限りのことをすると決めたなら、各人に相応しい内容が示されている。
それを人によって「それがそれだと分かった」とはっきり受け取ったり、「閃いた」「何となくそう感じた」「気が向いた」等の表現でふんわり受け取ったりする。
どれが良くてどれが悪いと言うものではない。
それぞれ時に応じて担当する「係」があり、そこに全く優劣はない。
係ごとに、大事な役割がある。
帰りに「ツキノワグマが気軽に出るからこの先に入るのはおすすめしないよ」と言った意味合いのことが書かれた登山道の表示を見かけた。
勧めはしないが道はあるよ
とは、こうした場所で普段「注意」や「禁止」のフレーズを見慣れていたので新鮮だった。
行動は自由意志でと言うことだろうか。
何とも大人向けの空間である。
かかりごと誠尽くさば、
はかりごと不要となる。
(2021/11/25)