《首都の備品》
この所、「僅差で争われる投票」と言う場面が不覚の政界の、色んな場所で起きている。
先日の、府と市を統合して都的な感じに変化するのしないので揺れていた投票は、殆ど差がない状態で「しないよ」の結果が出た。
前回含め二連続の「しないよ」で、盛り上げていた人が責任を取って辞めたりなんだりと忙しいようである。
「ようである」などと曖昧なのは、この件について上から注目を促されることが全くなかったから、殆ど知る機会が無かった為。
結果が出てから、この件を「するよ」にしたかった人達の「本当に残念だ」的な感想を眺めたり、何故「するよ」にならなかったのかの理由分析の記事を眺めたり、言ってみりゃ焼け野原の様な情報群をあちこち見て回った。
何故上から「注目の必要なし」とされていたのかについては、こちらでも「理由としてはまぁおそらくそれなんでしょうな」と浮かぶものがあったので、
「成る程、やっぱりこれか~」
と確認する作業を焼け野原で黙々と行った。
注目する必要がなかった理由を、分かり易く申し上げればこうなる。
「するよ」でも「しないよ」でも、
どっちにしろ弥栄じゃなかったから。
都的になりたい側も、そうはなりたくない側も、おらが地元の良かれの為に、もっと言えばおらが良かれの為に、票を投じたからである。
構想の焼け跡みたいな公式ページにちゃんと書いてあった。
この構想が何で必要なのか、博士的なキャラクターが説明してくれる台詞に
“広域行政を一元化すれば、この街はとんでもない潜在能力を発揮するんじゃ!
東京どころか世界と渡り合える都市であることが証明されておるんじゃよ。”
これを読んで「だからどんだけ経っても変わらんのじゃないか」と、呆れた。
渡り合ってどうすると言うのだ。
相手になって戦う、相手にして争うと言う意味の「渡り合う」を掲げて繁栄を狙ったって、滝を逆走する位この時代には無理がある。
そんな腕白チャレンジが鯉を龍に変えるのだと褒め讃える、上昇、出世、繁盛万歳の血気盛んな感じや、戦って勝ち取るノリはとっくにもうサポート期間を終了している。
他の地域も、道でも府でも県でも目にするのはおよそ「おらが地元」だけを得させようとする動きばかり。
あまりにもその「おらが」へ限定された傾きが酷いせいで、結果として東京に力が集まっている。
一番強いジャイアンがぶん取っているから、のび太達に行き渡らないのではない。
ジャイアンがキレイだからでもない、単なる消去法だ。
以前に上から、宮司を名乗る“これ”を指して「首都の備品」と示されたことがある。
成る程、それでも結構だと頷いた。
最も人型生命体の行き交いが多く、起こる出来事も何かと象徴的、変化の波が速く、「誰かや何かの為に」依らない場所。
社会の変化、そして進化変容を観察するのに適している。
一方で、「それが東京であり続ける必要もない」とも、当たり前に理解している。
備品が配置されたら首都になるとか、順序が逆だろうと言う気がするが一時「おいでよ!」の要請が凄い地域があった。
弥栄を感じなかったので、「こ~と~わ~る~!」と返して動かなかった。
過去の栄華をもう一度とか、今しかないと腑に落とし今の今を生きている覚めた者には全く響かない。
弥栄の感覚のみを道標として、とても喜ばしく感じ観察している東京以外の場所が一つだけある。
「道でも府でも県でも目にするのはおよそ「おらが地元」だけを得させようとする動きばかり」と、書いたが“およそ”としたのは、そこがあるからだ。
他地域から学生を受け入れて、充実した学びと生活の機会を提供し、
卒業してもそこに縛るでなく、歓びをもって送り出している。
羽ばたいた内の数人でも戻って来てくれれば嬉しいし、第二の故郷になれればと言うスタンスらしい。
おらが一番ではなく、第二でもいい。
得が保証されなくてもいい。
かけた努力や情熱の成果がどこに向かってもいい。
この活動に上面のきれいごとではない、全体の繁栄に向ける芯の通った真心を感じた。
全体へ捧げる動きが出来る場所でないと、この先の繁栄はない。
それは只今の首都にしたって同じことである。
手前都合で動くのをやめた場所が自然に活気を増し、結果として要地となるならそれがどこでも歓びをもって祝福する。
縄を張ってりゃ、縛りは解けない。
(2020/11/5)