《風の出処》
「そう言えば、何処から?」
と言っても、気になったのは風邪ではなく風。
言葉の語源を調べていて、これは何だか不思議じゃないかと気がついた。
「臆病風に吹かれる」と「先輩風を吹かす」を並べて見比べていた時のことである。
先輩風の発生源は当たり前に、その先輩である風を気取っている人物。
しかし、臆病風の方は吹かす人物は居ず、吹かれて怯えている者が在るのみ。
エアコンだって、ヒーターだって、扇風機でも、風車でも、何にせよ出元はあるのだ。
「何処から吹いてんの?」
と、臆病風の出処に意識を向け「あっ」と気がついた。
不覚を維持する意識のネットワークが崩れ、その隙間から虚空の呼びかけが増している。
変容の流れに乗っていれば、虚空である大いなる自らが小さな端末としての自らに、「おはよう」と呼びかける素敵なお知らせ。
だが、変わることを拒否して未練で不覚にしがみ付いていれば、変化を促す風も「ゾクッ、何かヤバイ雰囲気」と感じる臆病風となる。
「そうか虚空から来てる風を変質させたのか~、そりゃ納得だ」
と唸ったら、
「立ち上がってシャンとしていれば、背中を押す追い風になる。
しゃがみ込んで丸まっていると、首筋を撫でる悪寒となる」
と、上から来て「お見事!」と膝を打った。
上達の中には宮司より断然、洒落ている者が居る。
当宮にお越しの、明らかにグッドセンスな皆様におかれましてはとっくにご承知のことではあるだろうが、一応申し上げておく。
これから真冬となるにつれて、不覚社会を覆う不安や倦怠、息苦しさや物悲しさ、絶望感は増す。
気温が下がり日照も少なくなることが心身に影響する、と言うのが一般に知られた理由づけだが、それだけではなく一年の中で生滅で言えば滅、呼吸で言えば吸にあたる時期だからである。
隙間から吹く虚空の呼びかけは、そのまま虚空に吸い込まれて還って行く。
出るも入るも、全て空より。
一年が、それ自体一つの大きな呼吸であることを上から教わったのだが、その中で自然と、春分で吸が呼に、秋分で呼が吸に、切り替わることが分かってヒューと口笛を吹いた。
そして只今冬至にまっしぐらなこの時期は、日ごとに吸がマシマシなのである。
冬至を過ぎれば済むのかと言えばそうでもなく、ダイソン並みの吸引力キャンペーンは暫く続く。
どんどん虚空に吸い込まれ還って行く流れに立ち、手離したくないもの満載だったらそれは「ああ、苦しい」「辛い、無理」「理由なく怖い」等の混乱が沸いて来ても不思議ない。
当宮記事を活用されたり、宮司に直接会って進化を遂げるなどされて、意識の不要な拘りをもう片付られている皆様は、こうした吸の流れによる不安とは既にあまり関係がない。
だがこれを知っておくと、周囲の人物が陥る混乱を目にした時に「ああ、吸う流れが怖いのか」と理解が速くなるし、影響されずに落ち着いて本道を行ける。
臆病風に吹かれ、不安に慄く人々に申し上げられるのは、兎に角、失うのを恐れないこと。
個の自分、の殻に入っていればその恐れが止むことはないだろう。
だが、虚空としての自らに意識が立ち返った時、一体何を恐れるだろうか。
そしてあなたは本来、何であっただろうか。
何者であったか、ではない。
何であっただろうか。
空以外の、一体何であると言うのか。
不安や恐れと、乳繰り合ってる場合ではないのだ。
立ち上がる時、恐れは消える。
(2019/12/16)