《集中の輝き

 

覚であっても、不覚であっても、その時々の役割完全集中している時、人は輝く

先日、それを改めて感じる機会があった。

外出先でちょいと食事に寄った店で、入ってすぐこちらを振り返った店員が居た。

「いらっしゃいませ」

 


奥の席を指して座っていいか聞くと即了解

注文を伝えても即了解

雑な流れ作業ではなく、伝えたこと一つ一つがすんなりと、全て受け取られている

「ん?」

と、普段外で飲食して観察する不覚店員の多くと、その人の在り方が全く違っていることに気がついた。

店員達は大概、に雰囲気が分かれる。

 

 


陰気風な場合、お疲れ系無表情クール系等、態度の出方に違いはあるがどれも

 

「とっととこの客をさばいて、仕事以外のことに意識を向けたい」

 

所が共通している。

陽気風な場合、繁盛狙い系良く見えたい系等、思惑の在所に違いはあるがどれも

 

「好感度を上げて、仕事きっかけのプラスな何かに繋げたい」

 

所が共通している。
 

意識の中では雑念ワーワーワーワーヤンヤカヤンヤカ

 

 
どちらも仕事そのものには

大して注意が行っていない。

 

陰気陽気に“風”、と付けたのはどちらもエゴが作った風合いだから。不覚者は、陰陽や明暗の本質が分からず、雑に捉えている。


その日出会った店員は、陰気風でも陽気風でもなかった。
  
席に到着して数秒後に

「(お荷物を入れる)カゴをお持ちしましょうか」

 


と、来た。
 

こちらが背負っていた大荷物は、入店時から丸見えだったが、その瞬間まで気遣う様子は毛程も見せなかった

客が席まで着き丁度いい体勢になって、丁度いいタイミングでの申し出。

初めから各所にカゴを置いておくには、狭すぎる店内。

「置く?置かない?」「置く位置はどの辺がベスト?」が刻々と変わり、その全てが彼女に任されている

カゴを傍に置かれた時に礼を言うと、向こうは自然に軽く頭を下げ、流れる様な動きで他の席に向けて移動して行った。

 


キビキビするでもなく、ダラダラするでもなく、行く先々でさり気なく全体にサービスを行き届かせ場の調和を生み出している。
 
何て自然な輝きなのだと驚いた。

「100%だよ!

 

あんた100%の

カレー屋の店員だよ!!」

そんな訳の分からない賛辞と共に、彼女の手を取りたくなった。

 

溢れる歓喜(イメージ)。


 
食事が美味だとシェフに感謝を述べる行いが、店のタイプによっては存在する。一瞬、そんなことまで浮かんだ。

「シェフ!この店には100%のスタッフが居ますよ!」
 
伝えたところで戻って来るのはおそらく、

「だから何ですか。この忙しい調理中に。
あと、シェフが呼ばれるとかそう言う店じゃないんで」

 


の返事だろう。

そんなことも分かっていたので、大人しく食事をし、帰り際に最大級の感謝を込めて

「ごちそうさまでした」

を言って、店を出た。

あんな輝きが見られたのは、彼女が客という存在に微塵も期待や偏見を混ぜずに向き合い、そして仕事そのものに集中出来ていたからこそだと、しみじみとその輝き美しさに感謝した。
 


 思わぬところに、集中の達人が居るものだ。

只、それを“発見”出来たのは、普段からの店員達を、中立に観察し続けて来たからでもある。

様々な場所での中立な店員観察は、気づきや発見の宝庫

見知らぬ人の仕事ぶりを、ちょいちょい見てても不信がられない貴重な場所なのだ。

面白いので、興味が湧かれた方はなさってみられることをお勧めする。

 

達人のいる店。

(2020/1/23)