《金とガラス》
『年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ』
と言う諺がある。
一般的に草鞋を作るのに使うのは稲藁。その草鞋に金。これは、藁の様に擦り減らない金属で出来た履物と言うこと。
この金属とは、鉄のことらしい。
「金=鉄の草鞋ね。
鉄下駄みたいなもんか」
と、納得した。
鉄下駄とは「筋力強化を目的とした鉄製の下駄」のこと。
やり過ぎ位が丁度いいと言う教えの元に、変てこな筋トレが沢山考案された昭和期のアイディア遺物であり、現物などなく只の例えだろうと踏んでいたが、調べたら令和の現在でもAmazonで注文可能だった。
人の数だけ需要は様々、存在する。
話を草鞋に戻す。
金の草鞋が必要になる位の、長い旅になることも覚悟する。
イチャイチャ目的でくっつく好みの女の子ではなく、
人生を共にする成熟した伴侶との出会いはその位してでも必要。
そのことを示す分かり易い例えとして「年上の女房」の表現がある。
「年上の女房」が、「一歳上の女房」に変わっている諺もある。
どちらも成熟し、妻の方が「ちょい先を行く」位の状態が、分割意識と御神体のベストバランスなのだろう。
人型生命体と言う分神は、一体でそのまま分割意識と御神体の夫婦。
『年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ』は、人間の夫婦に適用される前に、分神夫婦の和合において必要なメッセージである。
進化変容の旅は、分神和合の旅でもある訳だが、お目にかかる機会のある方々の歩みを観察していると、内側への旅につきこちらの目には見えないはずの草鞋が、ふと見える気がする。
丈夫だが重い金の草鞋で、一歩踏み出すごとに逞しくなられている方。
重さに慣れて足取りが確かなものに変わり、
周囲に天意からの愛を振る舞う機会も増える方。
実はとっくに妻は同行している。進化変容の旅は夫である意識から不覚の目隠しが取れて、共に在る妻の存在に気がつく旅である。
その旅の途中に「随分目隠しが薄くなって来られたな」等観察しながら、宮司を名乗るこの分神も付き添いの夫婦として時折楽しく同道させて頂いている。
この様に歩みが分かる方々も居られるし、
「金の草鞋を履きます」
と宣言しても、足に合わせては脱ぎ、紐をかけては外して、試し履きを繰り返しているだけの方々も居る。
よくよくご様子を観察すると、その方が求めているのは、金ではなく金の草鞋だったりする。
歩く為ではなく、
足元をキラキラさせる為の、
珍しくて、
名誉のある、
特別な草鞋。
多分、形的にも草鞋と言うより草履を求めている。
どんな場所でも行こうと言う、結びの覚悟をするでなく、ちょっとつっかけていそいそと街歩きをする位。
「お洒落は足元から」位の発想で、目覚めや進化変容に何かを期待するなら、それは堂々巡りになって当たり前。
玄関内をぐるぐる歩き回るのみとなる。
ちなみに「金」「草鞋」で調べてAmazonが売ってくれるものは、実際の履物ではなく金色のちっちゃな草鞋を提げたストラップだった。
パワーストーン等おまけの付いた商品もあった。
当たり前だが歩くと、今居る所から立つ場所がどんどん変わって行く。
歩かずに変化を望んで興奮するだけに留まる人々にとっては、草鞋は履くものではなく提げて飾るもので十分なのだろう。
そうした人々は、シンデレラのガラスの靴も「歩きにくかろうが来たものを引き受ける姿勢」に学ぶのではなく「特別な存在としての運命を証拠づける眩しい輝き」として欲しがる。
当宮を建立して暫くは、「足が軽くなりぐんぐん歩けちゃうガラスの靴」なんて便利グッズ的なものを探して
「23.5あります?」
みたいな感じで来る方も居られたが、靴屋ではないし靴職人でもないし便利屋でもないとお答えし、足が重くてもどれ程の道でも歩むと決めた方が次第に増えて今日に至る。
只、便利グッズの入手ではなくても、今履いている物よりも見栄えのする「理想的な一足」の到来を待つ方は、未だ混じっている。
金もガラスも、目的地まで運んでくれる絨毯にはならないし、
試し履きしたり、新製品の入荷を待つことで、歩いたことにはならない。
それが認められないなら、お出かけカバンをお好きなストラップで飾り、旅立つ夢ばかりを見続けることになる。
結ぶ振り、歩く振り、全て明らか。
(2020/6/22)