《進化の波》
「変容の時代と言ったって、まだまだ世の中はそれに気づいていないみたいだし、今は何をどうすればいいのかしら?」
そんな風にお感じの方がもしおられたら、「何をどう」については、一切迷う必要はないし、迷ったところで答えは出ないと申し上げる。
何でもして構わない。
天意からの愛で行うなら。
「そうですよね、あぁでもどうすれば…」
となる方は、迷うことそのものが好きなのだ。
それならいっそ天意からの愛で、「人が迷うと言うこと」について、ご自身の迷う感覚を試験紙にして、観察してみたらどうだろうか。
何をしたって問題などないし、そして世の人々が気づこうと気づくまいと進化の波は日々、物理次元を訪れている。
世間に知られるのを待つ必要は全くない。
知れたところで脇道に入るだけの人々も居る。
波から逃れようと移動したり、防波堤を築こうとしたりする。
勿論、それだって自由。
但し、その間に進化へ向けて注がれるはずだった力は二度と戻って来ない。
そして「寄り道してただけなんで、もう一回!」とも、出来ない。
けれどやはりそれで何か問題がある訳でもない。
一回一回の選択は、間違いなくその者が自由意志により出した決定である。
これまでにも申し上げて来た通り、たとえ「決心がつかないし執着も捨て切れないので当面先送りする」と言う選択であっても、決定であり、実際何一つ先送り出来ていない。
この問題が片付いたら、
子供の手が離れたら、
家から出られるようになったら、
必要なものに
本腰を入れられる?
起こる出来事に真摯に向き合うことは必要で、昇華することも必要。
しかし、自らの進化を為すことを避けて、何かや誰かを“原因”に仕立て上げ続ける限り、現れるのはどこまで行っても「新たな壁」であり、「スッキリと片付いて専念出来る状態」ではない。
意志せず希望だけ持つ者達は、何を待つのか。
大抵は、「不安がなくなるまで場が整うこと」である。
真似したくなる良い手本となる人々が現れたら。
あちこちで声があがり、目を覚ますことが必要だと言う機運が高まったら。
これまで幾度言ったか知らないが、そうした他力本願は、膠着状態を生むだけとなる。
逃げずに向き合う者にとって、波は敵ではない。
本来は、更新をサポートする動きである。
決め切らない人々について書く一方で、それぞれに進化を成し、天意からの愛を放ち続ける人々が居ることも分かっている。
未だお目にかかったことのない方の中にも、当然におられる。
風が吹いて、何だか理由もなく清々しく楽しい気分になる時。
そうした方々の愛がここまで届いているのだと、誰の説明を受けずとも自然と分かるのだ。
寄せては返す、進化の波。
(2019/6/10)